アジュルン‐じょう〔‐ジヤウ〕【アジュルン城】
アジュルン城
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/02 15:56 UTC 版)
アジュルン城(カラアト・アジュルーン、アラビア語: قلعة عجلون, Qal'at Ajlun; またはカラアト・アッ=ラバド、アラビア語: قلعة الربض, Qal'at ar-Rabad)はかつて修道院のあった丘の上に建てられている。1184年、サラーフッディーンの部下である将軍イッズッディーン・ウサーマにより、ダマスカスとエジプトを結ぶ道をカラクの十字軍による攻撃から守るための城として建てられた。フランク人(西洋人)たちはトランスヨルダン(ヨルダン川東岸)にまで領土を延ばしたが、アジュルンより東には進むことは出来なかった。その後はマムルーク朝により四角い楼閣が増設されるなどしたが、1260年にモンゴル帝国軍により陥落し一部が破壊された。
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