バイク (フーシン部)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/29 20:07 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動バイク(モンゴル語: Baiqu,? - ?)とは、13世紀初頭にチンギス・カンに仕えたフーシン出身の千人隊長。1206年にバイク率いる千人隊はチンギス・カンの長男ジョチに分封され、ジョチ・ウルスの基盤となった。
ペルシア語史料の『集史』ではبایقو(bāīqū)と記されるが、『元朝秘史』や『元史』など東方で編纂された史料には登場しない。
概要
『集史』ではジョチに分封された4人の千人隊長の名前を、キンキトのクナン・ノヤン(Qunan noyan >qūnān nūyān,قونان نویان)、シジウトのモンケウル(Möngke'ür >Mungkūr,منگکور)、フーシンのフーシダイ(HuŠidai >hūshītāī,هوشیتای)、[原文欠落]のバイク(Baiqu >bāīqū,بایقو)、と記録している。
『集史』「フーシン部族志」では「フーシダイ・バイク(hūshīdāī bāīqū,هوشیدای بایقو)」という人物について記録しているが、これは基本的にバイクの事を指すと考えられている。
ジョチの死後、ジョチの4千人隊は2分されてモンケウルとバイクの2千人隊はバトゥが、クナンとフーシダイの2千人隊はオルダが、それぞれ継承したと考えられている[1]。
初期ジョチ・ウルスの4千人隊
オルダ・ウルス
- ゲニゲス部のクナン・ノヤン(Qunan >忽難/hūnán,قونان نویان/qūnān nūyān)
- フーシン部のケテ(フーシダイ)(Kete >客帖/kètiē,هوشیتای/hūshītāī)
バトゥ・ウルス
脚注
- ^ 赤坂2005,125-128頁
参考文献
- 赤坂恒明『ジュチ裔諸政権史の研究』風間書房、2005年
- 志茂碩敏『モンゴル帝国史研究 正篇』東京大学出版会、2013年
- 村上正二訳注『モンゴル秘史 2巻』平凡社、1972年
- 村上正二訳注『モンゴル秘史 3巻』平凡社、1976年
「バイク (フーシン部)」の例文・使い方・用例・文例
- このバイクは君のよりも速く走れる
- バイクにまたがる
- 「道が悪いので車は使い物にならないよ」「バイクを考えてみてはどうだい?」
- 彼はバイクにはねられた
- 私は中古でなく新しいバイクを買った
- このマウンテンバイクはでこぼこ道で実に真価を発揮する
- 彼女がバイクに乗ると言っても両親が止めますよ
- 彼がユーロバイクの情報を探す
- 彼がバイク検索・ネットオークションやバイクショップのネットワークなどを利用する
- 去年の9月に息子がバイクで事故に会いました
- 彼女はバイクに飛び乗ってキックスターターを押した。
- 彼はバイクをけって始動させた。
- そのマウンテンバイクはチューブレスタイヤだった。
- ここはマウンテンバイクをするには最高の場所だ。
- 我々はそのバイクをここ数年油を差さずにガレージの中に置きっぱなしている。
- 私は休日によく色々な場所をバイクで訪れる。
- あなたのバイクをここに置いてはならない。
- 私の夢はまたバイクを買うことです。
- あなたはバイクのレースに出たい?
- あなた達はバイクが好きだけど、自分でバイクのレースに出たいと思う?
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