ボロクルとは? わかりやすく解説

ボロクル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/20 20:07 UTC 版)

ボロクルまたはボロウル(Boroqul, Buroγul, Boro'ul、? - 1217年)は、モンゴル帝国初期の武将。『元朝秘史』では孛囉忽、孛囉兀、『元史』では博爾忽などと記され、『集史』では بورقول نويان Būrqūl Nūyān または بورغول نويان Būrghūl Nūyān などと表記される。いわゆる四駿(Dörben külü'üd)の一人。フーシン部族出身。『元朝秘史』巻八に載る1206年のチンギス・カン第2即位での功臣リストでは第15位にあたる。


  1. ^ 志茂2013,575頁。なお、『新元史』はクチュグルに代わってバウルチになった人物をボロクルと気づかず、「布拉忽児」という別人として列伝25で言及している。
  2. ^ 赤坂2005,125-128頁
  3. ^ 志茂2013,645頁
  4. ^ 村上1972,360-361頁


「ボロクル」の続きの解説一覧

ボロクル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 09:09 UTC 版)

四駿四狗」の記事における「ボロクル」の解説

詳細は「ボロクル」を参照 ボロウルとも言う。フーシン部の人。『元朝秘史』では、チンギス・カンがジュルキン部を討伐した際、幼子だったが拾われチンギス・カンの母のホエルン育てられとされるが、伝承の域を出ない若くして数々戦功をあげたが、1217年モンゴル高原北東森林地帯に住む狩猟トマト部討伐において戦死した。『集史』などのペルシア語史料ではبورقول نويان (Būrqūl Nūyān)、『元朝秘史』などの漢文史料では孛羅忽勒/博爾忽とも表記される

※この「ボロクル」の解説は、「四駿四狗」の解説の一部です。
「ボロクル」を含む「四駿四狗」の記事については、「四駿四狗」の概要を参照ください。

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