ノコルの起源とは? わかりやすく解説

ノコルの起源

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/29 20:16 UTC 版)

ノコル」の記事における「ノコルの起源」の解説

遊牧領主仕えノコル存在チンギス・カン登場以前から中世モンゴル広く見られたもので、多く遊牧領主が独自のノコル有していた。『元朝秘史』にはチンギス・カンライバルであるジャムカが常に30人前後ノコル引き連れていたことや、チンギス・カンの弟ジョチ・カサル敗走中して家族はぐれた際にもノコルのみは行動をともにしていたことなどが記されている。 ノコルとして最も著名であり、またチンギス・カン最初ノコルであったのがアルラト部ボオルチュである。『元朝秘史』は青年期チンギス・カンある日馬を盗まれ、馬を取り返すために出かけた先でボオルチュ出会い、その助け得たという逸話伝えている。この時ボオルチュは「丈夫の悩み一つなるぞ。我、汝がノコル(僚友)とならん」と語ってチンギス・カン最初ノコルになったという。この逸話見られるような、対等な者が相互にノコルとなりあうのが「原初ノコルであった考えられている。また、かつてウラジミールツォフはこの事例注目してモンゴルノコルとは西欧封建制における従士相当し自由意思領主契約し遊牧騎士となる存在である」と論じたが、現在ではこのような見解否定されている。 ボオルチュのように純粋に自らの意思ノコルになった者は寧ろ例外的で、チンギス・カンノコルとして著名になった者の大部分は親や兄に連れられて質子(トルカク)としてノコルになった者、或いは子供時に拾われ義弟養子として育てられノコルになった者たちであった。 この事例として最も著名であり、またボオルチュに次ぐチンギス・カン二番目ノコルになったのがウリャンカイ部のジェルメである。ジェルメはその父ジャルチウダイによってチンギス・カン与えられそのノコルになったという。また、ボオルチュに並ぶ「四駿」として名高いジャライル部ムカリも、父がチンギス・カン投降した際にチンギス・カン与えられノコルとなっている。この他にも、四駿一人として著名なボロクル、チャガン、シギ・クトクらはホエルン(チンギス・カンの母)やボルテ(チンギス・カンの妻)に育てられチンギス・カン義弟或いは養子として擬制家族取り込まれた者達で、彼等成長してノコルとなった護雅夫このような事例からウラジミールツォフの見解否定しカン-ノコル関係を「家産支配隷属関係」であると指摘した。 これらのノコルたちに共通するのは氏族間のしがらみ囚われず、チンギス・カン個人に強い忠誠心捧げたという点で、チンギス・カン彼等ノコル親衛隊(ケシク)に組織し重用した

※この「ノコルの起源」の解説は、「ノコル」の解説の一部です。
「ノコルの起源」を含む「ノコル」の記事については、「ノコル」の概要を参照ください。

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