チンギス・カンへの再帰参
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 06:31 UTC 版)
「モンリク・エチゲ」の記事における「チンギス・カンへの再帰参」の解説
この後、モンリク・エチゲもまた一時テムジンの下を離れてジャムカの勢力に身を寄せていたが、「十三翼の戦い」の後に七人の息子を引き連れて再びテムジンの陣営に帰参した。同時期にウルウト部のジュルチェデイやマングト部のクイルダル・セチェンもテムジンの傘下に入っており、喜んだテムジンは酒宴を開いている。 『元史』や『集史』が一致して伝えるモンリク・エチゲの功績に、ケレイト部によるテムジン謀殺の計略を未然に防いだ一件がある。テムジンはケレイト部のオン・カンと同盟関係にあった頃、「交換婚」によってオン・カン家と姻戚関係を結ぼうとしたが、テムジンを見下すオン・カンの子のセングンの反対によって中止になったことがあった。後にケレイトとモンゴルの対立が深まってくると、セングンは立ち消えとなった婚姻話をもう一度持ち出し、テムジンをおびき寄せて謀殺する計画を立てた。 ケレイト部の下に旅立とうとするテムジンは一度モンリク・エチゲの家に泊まったが、モンリク・エチゲは態度を豹変させたセングンの事を怪しみ、理由をつけて辞退するよう忠告した。この後バダイ、キシリクの密告によってケレイト部の謀略が明らかになり、テムジンは謀殺されることなくケレイトとの戦いに臨むことが出来た。
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