サリクタイ率いるタンマチ(タマ軍)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 07:18 UTC 版)
「サリクタイ」の記事における「サリクタイ率いるタンマチ(タマ軍)」の解説
『高麗史』等の史料には、サリクタイが「権皇帝」という称号を称していたことが記録されている。これはかつてチンギス・カンにより中国方面の攻略を任せられていたムカリが称していた称号の1つで、かつてのムカリの地位を一部(遼東方面のみ)継承するという意図の下称したものと考えられている。実際に、サリクタイ率いる軍勢にはウヤルに代表される旧ムカリ麾下の将校、特に契丹人が多数含まれていた。『元史』に記されるサリクタイ麾下の将軍にはウヤル・耶律薛闍・移剌買奴・王栄祖らがいるが、彼等はウヤルを除き全て契丹人である。 また、『高麗史』には「辛亥、蒙兵自平州来屯宣義門外、蒲桃元帥屯金郊、迪巨元帥屯吾山、唐古元帥屯蒲里……」という記述があり、高麗方面のタンマチはサリクタイ及びテゲ(迪巨)、タングート・バートル(唐古元帥)、蒲桃という4人の将軍によって率いられていた。これはイラン方面に派遣されたチョルマグン率いるタンマチが4つの万人隊から構成されていたことと対応するものと見られている。
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