スグンチャク
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スグンチャク(モンゴル語: Süγunčaq,? - ?)とは、13世紀前半にモンゴル帝国に仕えたジャライル部出身の領侯(ノヤン)。主に第2代皇帝オゴデイの治世末期から3代皇帝グユクの治世に仕え、衰退傾向にあったムカリ国王家の地位を一時的に復活させた。
- ^ 『元史』巻119列伝6速渾察伝,「速渾察、性厳厲、賞罰明信、人莫敢犯。与兄塔思従太宗攻鳳翔有功。将兵抵潼関、与金人戦屡捷。既滅金、皇子闊出攻宋棗陽、入郢、速渾察皆与焉」
- ^ 『元史』巻119列伝6塔思伝,「子碩篤児幼、弟速渾察襲。碩篤児既長、詔別賜民三千戸為食邑、得建国王旗幟、降五品印一・七品印二、付其家臣、置官属如列侯故事。碩篤児薨、子忽都華襲。忽都華薨、子忽都帖木児襲。忽都帖木児薨、子宝哥襲。宝哥薨、子道童襲」
- ^ 杉山2004, p. 137-138.
- ^ 『元史』巻119列伝6速渾察伝,「歳己亥、塔思薨、速渾察襲爵、即上京之西阿児査禿置営、総中都行省蒙古・漢軍。凡他行省監鎮事、必先白之、定其可否、而後上聞」
- ^ 『元史』巻119列伝6速渾察伝,「帝嘗遣使至、見其威容凛然、倜儻有奇気、所部軍士紀綱整粛、還朝以告。帝曰『真木華黎家児也』」
- ^ 『元史』巻119列伝6速渾察伝,「他国使有至者、毎見皆倉皇失次、不能措辞、必慰撫良久、始得尽其所欲言。左右或諫曰『諸王百司既莫敢越、而復示之以威、使人怖畏、盍少加寛恕以待之』。速渾察曰『爾言誠是也、然時有不同、寛猛各有所宜施。天下初附、民心未安、万一守者自縦、事変忽起、悔之晩矣』。尋薨。延祐三年、贈宣忠同徳翊運功臣・太師・開府儀同三司・上柱国、追封為東平郡王、諡忠宣」
- ^ 堤2000, p. 199.
- ^ 『元史』巻119列伝6速渾察伝,「[速渾察]子四人曰忽林池、襲王爵。曰乃燕。曰相威。曰撒蛮。相威自有伝」
- 1 スグンチャクとは
- 2 スグンチャクの概要
- 3 参考文献
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