軍医部の対応とは? わかりやすく解説

軍医部の対応

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 01:41 UTC 版)

台湾出兵」の記事における「軍医部の対応」の解説

1871年明治4年)、兵部省は、陸軍省海軍省分かれ軍医寮は陸軍省属し軍医頭は松本良順(のちに順)であった台湾出兵当時軍医部創立より日が浅く経験不足であったが、総力挙げて事態あたった出征軍の医務責任者桑田衡平二等軍医正(少佐相当)、隊付医長宮本正寛軍医大尉相当)であった。他に24名の医官従軍させた。医官全員奮闘したが、極悪環境猛烈な伝染病病臥する者が多く西郷都督からはだけでも兵士あたえてほしいと要請された。医官多く漢方医で、熱帯病治療はまった経験がなかったという。かれらは交代22名が到着したため、ようやく帰国できた。宮内省からは外国人医師派遣された。ドイツ出身のセンベルゲル(Dr. Gustav Schoenberg)は、東京大学医学部前身にあたる大学東校お雇い外国人医師レオポルト・ミュルレル推挙であったが、能力がなくトラブル起こした。しかし、彼とともに送られた6台の製氷機械は大い役に立ったといわれている。

※この「軍医部の対応」の解説は、「台湾出兵」の解説の一部です。
「軍医部の対応」を含む「台湾出兵」の記事については、「台湾出兵」の概要を参照ください。

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