軍医総監局図書館長時代とは? わかりやすく解説

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軍医総監局図書館長時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/20 17:01 UTC 版)

ジョン・ショウ・ビリングス」の記事における「軍医総監局図書館長時代」の解説

北軍勝利流れ固まった1864年12月27日戦争終結4ヶ月前)、ビリングスアメリカ合衆国軍総監局(en)に配属され戦後余剰となる医師病院職員再就職担当となった戦争終結直後多忙であったが、職務自体は単純でなおかつ次第仕事自体減っていった。そのため、1865年秋に入ると、彼は同局図書館責任者である館長兼ねた折りしも戦争のための軍事予算余剰分のうち85千ドル図書館整備費転用認められた。彼はその購入責任者となったが、以前からあった資料整理十分に行われていなかった上に彼が厳選した大量新規蔵書論文など入ったためにその整理問題となった1865年当時1800冊しかなかった蔵書1880年には5万冊の書籍と6冊の小冊子抱えるまでになっていた)。ビリングスは単に整理するだけではなく主題索引作成して適切な資料を見つけ出せるようにしなければ意味を成さない考え目録及び作成作業尽力した10年歳月をかけて1876年に彼は軍医総監図書館目録Specimen Fasciculus of a Catalogue of the National Medical Library」を完成させた。これは1000ページの本10冊分にあたるもので、彼はそれまで目録作成のために40万枚に及ぶ主題別の索引カード作成していた(その中にはロシア語日本語資料存在していたが、それらについての解説付けられていた)。この意義議会認められ2万ドル予算与えられ1880年に「Index Catalogue of the Surgeon General's Office」として刊行されることとなった。「Index Catalogue of the Surgeon General's Office」は全16冊の一大目録となり、1895年になって漸く最終巻を刊行することが出来た1876年ビリングス部下として配属されイギリス生まれのロバート・フレッチャー(Robert Fletcher)はビリングスのよき片腕となったビリングスフレッチャービリングス以前から計画していた月刊医学文献索引作成にもあたり、1879年より「Index Medicus」として刊行された。フレッチャービリングス退官後もその後継者として事業引き継いだが、1898年にはビリングスフレッチャー私的な側面大きかったIndex Medicus」の刊行断念余儀なくされた。だが、後述事情によって1903年よりカーネギー研究所支援受けて再開され2004年まで続けられた。 ビリングス軍医総監局にいた時代に彼は目録作成以外の面でも功績挙げている。軍事医学公衆衛生に関する分野中心として150篇にも及ぶ論文退官後の図書館関係のものも含めると171篇にのぼる)を発表してアメリカにおける衛生学草分け存在として評価されている他、顕微鏡による微生物研究にも力を注ぎアメリカにおける顕微鏡写真第一人者として知られており、1893年コロンビア博覧会において彼の研究成果出展が行われている。また、1889年ジョンズ・ホプキンス大学付属病院として開設されジョンズ・ホプキンス病院en)の設計デザイン引き受け当時望みうる最高の衛生環境備えた病院作り上げ、更に1887年新築された新し図書館en)の設計も彼が行っている(なお、軍医総監図書館1867年以来エイブラハム・リンカーン暗殺されたことで知られるフォード劇場一郭置かれていたが、彼はこの施設に不満を抱いて早くから図書館新築動いていた。結果的に図書館のあった部分新館への移転から6年後に崩落事故起こして多数死者出している)。更にペンシルベニア大学衛生学研究所設計行い同校において衛生学講師務めた。彼は1879年全国健康局副総裁任命され国勢調査黄熱病対策あたった。この時の部下ハーマン・ホレリスで、後にビリングスホレリス統計機械的処理の可能性について意見交わしホレリスタビュレーティングマシン発明きっかけ与えたとされている。1886年にはワシントン哲学協会会長にも就任している。 こうした業績に対して1889年オックスフォード大学が、2年後にはダブリン・トリニティ・カレッジが彼に名誉医学博士称号授けた。だが、多く名声得ていたにも関わらず、彼は軍医総監代理地位留まり遂に総監昇ることないまま、1895年9月退官することになり、11月30日にはフィラデルフィア盛大なセレモニーが行われた。ビリングスにとっての唯一の心残りは、かつて自分作成した軍医総監図書館目録最初の名称に「the National Medical Library」すなわち「国立医学図書館」の呼称用いたように、軍医総監図書館国立医学図書館として発展させる構想実現できなかったことであったビリングス構想実現するのは彼の没後のことである(→アメリカ国立医学図書館)。

※この「軍医総監局図書館長時代」の解説は、「ジョン・ショウ・ビリングス」の解説の一部です。
「軍医総監局図書館長時代」を含む「ジョン・ショウ・ビリングス」の記事については、「ジョン・ショウ・ビリングス」の概要を参照ください。

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