明治維新後の林家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/21 02:15 UTC 版)
仙台に転戦した忠崇は、徳川宗家が駿府70万石の諸侯として存続するとの報に接し、新政府軍に降伏した。以後は江戸の唐津藩邸にて幽閉される。明治2年(1869年)、同家は忠弘を当主とする300石の東京府士族として存続した。忠崇も1872年に赦免されたものの、家禄の削減・廃止もあり、以後は職を転々とする困窮した生活を送った。 明治22年(1889年)、大日本帝国憲法発布にともなう大赦によって西郷隆盛の名誉が復権するや、旧藩士らは林家の復権運動を起こす。明治26年(1893年)、忠弘に対して男爵が授けられた。 なお、忠崇は昭和16年(1941年)に94歳で死去するまで在命し、「最後の大名」としてこの世を去った。
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