明治維新後の中央集権化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 02:00 UTC 版)
明治維新により守旧派の鎖国論者が居なくなったことで、日本は五箇条の御誓文による開国進取の国是を採用し、大規模な西洋化が行われた。政体書では三権分立が謳われた。五箇条の御誓文には「旧来ノ陋習ヲ破リ天地ノ公道ニ基クヘシ」という条項が含まれていた。明治元年9月の『大学校御取立ノ御布告』によって「漢土西洋之学ハ共ニ皇道ノ羽翼」であると位置づけられ、皇学の復興により旧来の儒学は排撃され、日本の国体に基づく和魂漢才・和魂洋才が叫ばれた。1871年、廃藩置県が行われ、江戸時代の地方分権体制から中央集権へと回帰した。 1872年、福沢諭吉は『学問のすすめ』において、「人民みな学問に志して、物事の理を知り、文明の風に赴 (おもむ) くことあらば、政府の法もなおまた寛仁大度の場合に及ぶべし。法の苛 (から) きと寛 (ゆるや) かなるとは、ただ人民の徳不徳によりておのずから加減あるのみ。」との見解を示した。1873年、森有礼は福沢諭吉らの洋学者と共に明六社を結成し、進歩主義的な啓蒙思想を広めた。 一方、1873年に日本がキリスト教を解禁すると、その後、宗教右派が日本にも流入することとなった。
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