明治維新後の江戸藩邸
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/22 00:41 UTC 版)
明治維新後、江戸幕府所有である拝領屋敷は江戸城などと共に明治政府に接収され、跡地は主要官庁や大学や後に企業の土地などに利用された。一方、抱屋敷は引き続き所有者(大名等)に帰属したため、元大名(華族)の邸宅として利用されたり、不要なものや維持が困難になったものは政府や民間に売却されるなどした。また、関東大震災でも多くの屋敷が焼失した。昭和14年(1939年)の大熊喜邦調査によれば、大名屋敷の遺構は松江藩松平家上屋敷(赤坂)の表門、加賀藩前田家上屋敷赤門、薩摩藩島津家中屋敷(外桜田)、鳥取藩池田家上屋敷、岡山藩池田家上屋敷の表門の5つのみであった。さらにその後、赤門と鳥取藩池田家の表門以外はすべて東京大空襲で焼失した。しかし、現在でも江戸藩邸の門を移築したと言われる門が随所に現存している(例:佐土原藩藩邸の表門や筑前秋月藩藩邸の表門)。さらに、佐倉藩藩邸の敷書院と云われるものが東京都世田谷区の豪徳寺に移築されているように、御殿もある程度残っている。 小石川後楽園・新宿御苑・六義園など、藩邸内に作られた庭園を保存し現在でも当時の面影を残す公園として公開されているものもある。
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