明治維新後の再立藩と廃藩
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/05 09:54 UTC 版)
1868年(慶応4年)6月、鳥取藩蔵米3,500石を与えられ、また、石高直しにより10,573石となり、再び諸侯に列して藩となった。明治2年(1869年)に藩校は移設され名も「時習館」と改称された。 1870年6月(明治3年8月)、藩主徳潤は福本藩知事となるが、1870年10月(明治3年11月)に藩財政困窮のため鳥取藩に併合され、廃藩となった。 1884年(明治17年)7月、華族令施行に伴い徳潤は男爵に叙せられたが、1894年(明治27年)に爵位を返上している。
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