こいしかわ‐こうらくえん〔こいしかはコウラクヱン〕【小石川後楽園】
読み方:こいしかわこうらくえん
⇒後楽園
小石川後楽園 (東京都)
小石川後楽園
区分
特別史跡・特別名勝
所在地
東京都文京区後楽一丁目
資料一覧
解説
江戸時代初期に発生した廻遊式庭園の様式をベースに,各地の風土と大名の生活文化が加味されて多くの大規模な大名庭園が生まれたが,小石川後楽園はその典型的な事例である。水戸徳川家の初代頼房,二代光圀によって上屋敷の庭として造営された庭園で,旧書院を中心とする内庭部と,大泉水を中心とする後庭部とからなる。とりわけ後庭部には西湖,渡月橋,大堰川,通天橋などの内外の名所の他,水田,松原などの田園景観を再現してあり,園路にそって多彩な風景が楽しめる。
小石川後楽園 (東京都)
小石川後楽園
名称: | 小石川後楽園 |
ふりがな: | こいしかわこうらくえん |
種別: | 特別史跡 |
種別2: | 特別名勝 |
都道府県: | 東京都 |
市区町村: | 文京区後楽一丁目 |
管理団体: | 東京都(昭11・12・16) |
指定年月日: | 1923.03.07(大正12.03.07) |
指定基準: | 史8,名1 |
特別指定年月日: | 昭和27.03.29 |
追加指定年月日: | 昭和12.05.15 |
解説文: | 寛永二年水戸潘祖徳川頼房ノ築造スル所ニシテ其ノ嗣徳川光圀之ヲ修治シ朱之瑜ニ選名セシメテ後樂園ト稱セリ江戸庭或ハ大名庭ノ稱アル型體ノ古園ニシテ築山泉水庭ニ屬シ徳川時代初期ヨリ中葉ニ於ケル庭園作物トシテ典型ト見ルヘキモノトスヘシ明治二年諸潘封土ヲ奉還スルニ方リ潘主徳川武時其ノ邸ト共ニ之ヲ上地シ今ハ東京砲兵工廠敷地ノ一部トシテ陸軍省ノ所管ニ屬ス築造以來年ヲ閲スルコト約三百年前ニハ安政二年ノ大震ニ遭ヒ後ニハ明治十三年涵徳亭ノ燒失セル等幾多ノ變革ヲ受ケ工作物中唯其ノ跡ヲ印スルニ過キサルモノアリ境域並周邊ニ縮少ト變易トヲ來セルアリ又煙害ノ爲メ巨樹老木ハ既ニ枯死シ或ハ枯死ニ瀕スルモノアリ池泉流水ハ往年ノ清澄ヲ有セサルモ林泉ハ尚其ノ美ヲ失ハス大要舊態ヲ存シ依然名園ノ表象ヲ認ムルニ足レリ 本園ハ明治七年以來行幸並ニ數次ノ行啓ヲ受ケ又外國貴賓ノ觀覽スル者多數ニシテ園名今ヤ海外ニ著聞スルニ至レリ 寛永三年水戸藩主徳川頼房の築造にかかり、同光圀これを修治し且つ朱之瑜をして後楽園の園名を選ばしめた。江戸時代大名庭の初期のものとして典型的のものである。 |
小石川後楽園
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/13 06:25 UTC 版)
小石川後楽園(こいしかわこうらくえん)は、東京都文京区後楽一丁目にある都立庭園。江戸時代初期に水戸徳川家の江戸上屋敷内につくられた築山泉水回遊式の日本庭園(大名庭園)である。国の特別史跡及び特別名勝に指定されている[3]。
注釈
出典
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj 『特別史跡・特別名勝 小石川後楽園』「水戸黄門ゆかりの名園」パンフレット、東京都公園協会、2023年4月11日閲覧
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at au av aw ax ay az ba bb bc bd be bf bg bh bi bj bk 『小石川後楽園の作庭と利用にみる哲学』五島聖子著、千葉大学、1996年12月、2023年4月10日閲覧
- ^ a b c 井波の技術に感嘆 東京・小石川後楽園の復元「唐門」公開 彫刻組合が制作 - 北國新聞、2020年12月20日
- ^ a b c d e f 吉川需著『小石川後楽園 (東京公園文庫 28)』「元禄の変革」郷学舎、1981年8月、2023年5月9日閲覧
- ^ a b c d e f 吉川需著『小石川後楽園 (東京公園文庫 28)』「享保の変革」郷学舎、1981年8月、2023年5月9日閲覧
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v 『名勝調査報告書』「小石川後楽園」文部省、吉永義信、昭和12年3月30日、2023年4月12日閲覧
- ^ 江戸から東京へ東京都教育委員会、2013年3月、p11
- 1 小石川後楽園とは
- 2 小石川後楽園の概要
- 3 歴史
- 4 建物の復元
- 5 園内の景物
- 6 ギャラリー
固有名詞の分類
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