山田寺跡
名称: | 山田寺跡 |
ふりがな: | やまだでらあと |
種別: | 特別史跡 |
種別2: | |
都道府県: | 奈良県 |
市区町村: | 桜井市山田 |
管理団体: | 桜井市(大11・5・23) |
指定年月日: | 1921.03.03(大正10.03.03) |
指定基準: | 史3 |
特別指定年月日: | 昭和27.03.29 |
追加指定年月日: | 昭和57.12.04 |
解説文: | 創建ハ舒明天皇ノ十三年トモ孝徳天皇ノ五年トモ言ヒ蘇我山田石川麻呂ノ營ミシモノナリ堂塔ノ配置ニ於テ他ニ類少キモノタリ 創建は矛明天皇の13年又は孝徳天皇の5年といわれており、大安、薬師、元興、弘福の四大寺に次ぐ大寺として、由緒ある寺格を有していた。 塔、金堂、講堂が南北1直線上に配置されており、しかもこの遺跡はよく残り所謂四天王寺式の伽藍配置を示し、飛鳥時代における寺院の遺構として最も顯著なものの一である。 S46-01-023山田寺跡.txt: 山田寺跡は、四天王寺式伽藍配置と考えられているが、指定地としては、伽藍枢要部のみで寺域全体をおおっていない。このため寺域全体を追加指定しようとするものである。 |
山田寺
(山田寺跡 から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/11 06:13 UTC 版)
山田寺(やまだでら)は、奈良県桜井市山田にある法相宗の寺院。山号は大化山。本尊は十一面観音。一般的には、かつてここにあった古代寺院を指す。蘇我倉山田石川麻呂の発願により7世紀半ばに建て始められ、石川麻呂の自害(649年)の後に完成した。法号を浄土寺または華厳寺と称する。中世以降は衰微して明治時代初期の廃仏毀釈の際に廃寺となった。その後、1892年(明治25年)に小寺院として再興されている。
注釈
出典
- ^ a b 奈良文化財研究所 2002, p. 8-11.
- ^ a b 箱崎和久 2012, p. 7-9.
- ^ 箱崎和久 2012, p. 19-21.
- ^ a b 奈良文化財研究所 2002, p. 11-12.
- ^ a b 箱崎和久 2012, p. 9-10.
- ^ 奈良文化財研究所 2002, p. 7.
- ^ a b c d e f 奈良文化財研究所 2002, p. 15-17.
- ^ 箱崎和久 2012, p. 21.
- ^ a b 箱崎和久 2012, p. 11-12.
- ^ 興福寺公式HP2020年8月12日確認
- ^ 阿弥陀如来および両脇侍像 e国宝 2022年5月20日確認
- ^ 箱崎和久 2012, p. 13-14.
- ^ 奈良文化財研究所 2002, p. 22-24.
- ^ 箱崎和久 2012, p. 18-19.
- ^ a b 箱崎和久 2012, p. 26-29.
- ^ 奈良文化財研究所 2002, p. 12-14.
- ^ 箱崎和久 2012, p. 38-39.
- ^ 箱崎和久 2012, p. 72-77.
- ^ 奈良文化財研究所 2002, p. 351-354.
- ^ 箱崎和久 2012, p. 30-32.
- ^ a b 箱崎和久 2012, p. 33-38.
- ^ 箱崎和久 2012, p. 58-59.
- ^ 奈良文化財研究所 2002, p. 32.
- ^ 箱崎和久 2012, p. 75-76.
- ^ 箱崎和久 2012, p. 46-49.
- ^ 箱崎和久 2012, p. 45-46.
- ^ 箱崎和久 2012, p. 41-42.
- ^ 奈良文化財研究所 2002, p. 171.
- ^ 箱崎和久 2012, p. 50-61.
- ^ 箱崎和久 2012, p. 85-86.
- ^ 箱崎和久 2012, p. 67-69.
- ^ 箱崎和久 2012, p. 39-40.
- ^ 箱崎和久 2012, p. 80-82.
- ^ 山田寺跡 - 国指定文化財等データベース(文化庁)
- ^ 銅造仏頭(旧山田寺講堂本尊) - 国指定文化財等データベース(文化庁)
- ^ 奈良県山田寺跡出土品 - 国指定文化財等データベース(文化庁)
- ^ 石燈籠 - 国指定文化財等データベース(文化庁)
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