巣山古墳 (奈良県)
巣山古墳
名称: | 巣山古墳 |
ふりがな: | すやまこふん |
種別: | 特別史跡 |
種別2: | |
都道府県: | 奈良県 |
市区町村: | 北葛城郡広陵町 |
管理団体: | 広陵町(昭2・11・30) |
指定年月日: | 1927.04.08(昭和2.04.08) |
指定基準: | 史1 |
特別指定年月日: | 昭和27.03.29 |
追加指定年月日: | |
解説文: | 環湟ヲ有セル前方後円型ノ古墳ニシテ北方ニ面ス 封土ノ高サ前方部約六十尺後円部約七十尺全長約六百五十尺前方ト後円トノ接續部両側ニ造出アリ後円部ノ頂上ハ発掘セラレテ石槨ノ一部ヲ露出ス此ノ地方ニ於ケル古墳トシテ主要ナルモノノ一ニ属ス 前方後円型の古墳で北方に面している。封土は全長約200m、高さは前方部約18m、後円部約21m、を有し、前方部と後円部との接続部の両側に造出があり、周囲に環湟がめぐらされている。後円部の頂上は、かって発掘されて石室の一部を露出しているが、きわめて宏壮な墳丘をなし、しかも整美な型式を示し、この種の古墳として代表的な一例であり、学術上特に価値が深い。 |
巣山古墳
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/17 19:47 UTC 版)
巣山古墳 | |
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![]() 墳丘(右に前方部、左奥に後円部) |
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所属 | 馬見古墳群(中央群) |
所在地 | 奈良県北葛城郡広陵町大字三吉元斉音寺 |
位置 | 北緯34度33分23秒 東経135度44分27秒 / 北緯34.55639度 東経135.74083度座標: 北緯34度33分23秒 東経135度44分27秒 / 北緯34.55639度 東経135.74083度 |
形状 | 前方後円墳 |
規模 | 墳丘長204m(推定復原220m) |
埋葬施設 | 竪穴式石室 |
築造時期 | 4世紀末 |
被葬者 | (一説)武内宿禰 |
史跡 | 国の特別史跡「巣山古墳」 |
特記事項 | 全国第23位の規模 (墳丘長220mとする場合)[1] |
地図 |
巣山古墳(すやまこふん)は、奈良県北葛城郡広陵町三吉にある古墳。形状は前方後円墳。馬見古墳群(中央群)を構成する古墳の1つ。国の特別史跡に指定されている。
概要
本古墳は中央群中でも大きく中心的な存在である。北向きの前方後円墳であるが、中心軸は少し北東に向いている。墳丘の周囲は幅広い周濠が巡らされており、全面水をたたえた濠となり、その水濠の中に浮かぶ中島のように横たわっている。
墳丘は封土を三段に築成しており、上に行くほど急斜面になっている。その斜面に安山岩系の礫石や割石が葺かれている。前方部と後円部の両方のくびれ部に方形の造り出しが付設されている。後円部は盗掘されている。
1927年(昭和2年)に周濠より内側が史跡に指定され、1952年(昭和27年)に特別史跡に指定されている。
構造
全長204メートル、後円部径110メートル、高さ25メートル、前方部幅94メートル、高さ21メートル。後円部の頂上は径45メートルの平坦な地形になっている。
周濠は楯形で、幅は後円部側で33メートル、前方部側で37メートル、くびれ部造り出し周辺で57メートルである。周濠の外堤は最大幅が27メートル、南の一部、東側、北側の一部に築堤を行い、特に東面と北東周辺が高く、幅広い築堤となっている。
埋葬施設
後円部の頂上部が明治年間に盗掘を受け多くの遺物が出土しており、後円部主軸に並行して二基の竪穴式石室が掘られていた(1923年(大正12年)の上田三平の報告)が、詳細は不明である。前方部の先端にも方形の壇状の施設があって、内部に小型の割石を積み上げた竪穴式石室のような埋葬施設があったとみられている。造り出しからは滑石製刀子(かっせきせいとうす)、籠形土器が出土しており、祭祀関係施設であったと考えられている[2]。
出土品
文化財
国の特別史跡
- 巣山古墳
- 1927年(昭和2年)4月8日、国の史跡に指定。
- 1952年(昭和27年)3月29日、国の特別史跡に指定。
- 1989年(平成元年)1月9日、史跡範囲の追加指定。
参考文献
- 文化庁文化財保護部史跡研究会監修『図説 日本の史跡 第3巻 原始3』同朋舎出版 1991年 ISBN 4-8104-0926-0
脚注
- ^ 古墳大きさランキング(日本全国版)(堺市ホームページ、2018年5月13日更新版)。
- ^ この項は、泉森皎「巣山古墳」 文化庁文化財保護部史跡研究会監修『図説 日本の史跡 第3巻 原始3』(同朋舎出版 1991年)の37 - 38ページを参照した。
外部リンク
固有名詞の分類
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