新木山古墳とは? わかりやすく解説

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新木山古墳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/03 00:22 UTC 版)

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新木山古墳

墳丘(右に前方部、左奥に後円部)
所属 馬見古墳群(中央群)
所在地 奈良県北葛城郡広陵町赤部字新木山
位置 北緯34度33分2.67秒
東経135度44分14.37秒
座標: 北緯34度33分2.67秒 東経135度44分14.37秒
形状 前方後円墳
規模 墳丘長200m
高さ19m(後円部)
出土品 埴輪
築造時期 5世紀前半
被葬者 宮内庁推定)押坂彦人大兄皇子
陵墓 宮内庁治定「三吉陵墓参考地」
特記事項 全国第36位の規模[1]
地図
新木山古墳
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三吉陵墓参考地 拝所

新木山古墳(にきやまこふん)は、奈良県北葛城郡広陵町赤部にある古墳。形状は前方後円墳馬見古墳群(中央群)を構成する古墳の1つ。

実際の被葬者は明らかでないが、宮内庁により「三吉陵墓参考地」(被葬候補者:第30代敏達天皇皇子押坂彦人大兄皇子舒明天皇御父)として陵墓参考地に治定されている。

概要

宮内庁が三吉陵墓参考地として管理しているため、一般市民は立入ることは出来ない。

南北走向の低位丘陵から東へ派生する小支丘を利用して築造されている。墳丘の主軸はおおむね東西にあり、両くびれ部に造り出しが存在する。その形態は巣山古墳のものに似ている。濠の幅は後円部で18メートル、前方部で22メートルほどである。外堤は水田の畦畔として残っており、幅約20メートル前後、高さは3メートル以上あったと考えられる[2]

墳丘内に埴輪列が存在することが確かめられている。またこの古墳の出土遺物として宮内庁に勾玉管玉などが所蔵されている[2]。採集された方形透かしと有黒斑の円筒埴輪から、5世紀前半の築造と考えられる[2]。馬見古墳群中央群では最後の大型前方後円墳である[3]

後円部西側には、主軸を同じくする帆立貝形古墳の三吉石塚古墳(県指定史跡)が、外提に接して造られている[4]

構造

空中写真(1979年)
国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成。
  • 墳丘長:200メートル[2]
  • 後円部
    • 直径:117メートル
    • 高さ:19メートル
  • 前方部
    • 幅:118メートル

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ 古墳大きさランキング(日本全国版)(堺市ホームページ、2018年5月13日更新版)。
  2. ^ a b c d 河上邦彦 『大和葛城の大古墳群・馬見古墳群』 シリーズ「遺跡を学ぶ」026、新泉社、2006年
  3. ^ 「大和の古墳Ⅰ」73頁
  4. ^ 三吉石塚古墳・新木山古墳位置図 (PDF)”. 広陵町. 2017年12月25日閲覧。

関連項目

  • 三吉石塚古墳

外部リンク




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