岩橋千塚古墳群 (和歌山県)
岩橋千塚古墳群
名称: | 岩橋千塚古墳群 |
ふりがな: | いわせせんづかこふんぐん |
種別: | 特別史跡 |
種別2: | |
都道府県: | 和歌山県 |
市区町村: | 和歌山市岩橋 |
管理団体: | 和歌山市(昭6・10・14) |
指定年月日: | 1931.07.31(昭和6.07.31) |
指定基準: | 史1 |
特別指定年月日: | 昭和27.03.29 |
追加指定年月日: | 平成12.03.29 |
解説文: | 字前山ノ山頂山腹十数町ノ間ニ築カレタル古墳郡ニシテ概数五百以上ヲ其ノ大小ノ円型墳隨處ニ群ヲナシ大ナルモノハ封土ノ直徑約十五間高サ約四間半ニ及ビ小ナルモノハ直徑約二間高サ数尺ニ過キズ現ニ発掘セラレタルモノノ内東部ニ分布セル二十七基ハ曽テ和歌山縣ニ於テ實測調査ヲナシソノ報告書ヲ公ニセリ実地調査ノ結果ニヨレバ石槨ハ縱穴式横口式ノ二種ニ分ツベク縱穴式ニ属スルモノハ組合セ石棺ノミノモノト其周囲ニ板石ヲ繞ラセルモノトアリ横口式ノモノハ概ネ時代ノ稍降レルモノト認メラレ構造頗ル発達シ小ナル石槨ニハ玄室ト羨道ノ外特種ノ構造ヲ見サルモ雄大ナルモノハ玄室前室小室及羨道部ヨリ成リ玄室ノ両側壁間ニ二個以上ノ石梁ヲ架シ奥壁ニ沿ヒテ石棚ヲ設ケ底部ハ棺形ノ石囲ヲ有スルモノト槨障ヲ有スルモノトアリ又玄室及ビ前室ノ前壁ニ薄キ緑泥片岩ヲ貼リテ裝飾セルモノ少カラズ往々石扉ヲ存ス副葬品トシテ玉類石製品、鏡、金環銅鏃甲胄馬具直■祝部土器等ヲ発見セリ 石槨ノ構造手法、多種多様ニシテ各種ノ副葬品ヲ出土セル本古墳群ノ如キハ類例稀ナルモートス 字前山の山頂や山腹に営まれた古墳群で、概数五百以上を算する。大小の円墳が隨所に群をなし、大なるものは封土の直径約三十米、高さ約八米に及び、小なるものは直径約四米、高さ約二米をなしている。是等の古墳の内部構造は、竪穴式石室、及び横穴式石室の二種より成っている。竪穴式に属するものは、組合せ石棺のみのものと、その周囲に板石をめぐらしたものとあり、横穴式石室のものには、羨道と玄室とよりなる通例の構造のほかに、特殊なものとして、後室・前室及び羨道部より成り、後室の西側壁間に石梁を架し、奥壁に沿うて石棚を設けるものなどがあり、往々石扉も存する。副葬品として玉類・鏡・金環・銅鏃・甲冑・馬具・直刀・須惠器等が出土している。石室の構造が多種多様であり、わが国の古墳群中においても類例少く、学術上の価値が特に深い。 S48-05-140[[岩橋]いわせ]千塚古墳群.txt: 紀の川南岸にある岩橋山塊の北斜面を中心に分布する総数500基以上からなる古墳群である。この古墳群については、昭和6年史跡指定、昭和27年特別史跡に指定されていたが、指定地外にも重要な古墳があり、現状で可能な限り古墳群を含む範囲を昭和48年3月、追加指定した。 |
岩橋千塚古墳群
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/22 09:46 UTC 版)
座標: 北緯34度13分29.8秒 東経135度13分40.6秒 / 北緯34.224944度 東経135.227944度
岩橋千塚古墳群(いわせせんづかこふんぐん)は、和歌山県和歌山市岩橋に所在する古墳時代後期後半の古墳群である。国の特別史跡に指定されている。
概要

紀伊国造集団の関係する古墳群である。約600基の古墳からなり、北方の鳴神地区には花山支群が、南方の岡崎地区には井辺八幡古墳支群がある。また、西方の宮地区には紀国造家が祀る日前神宮・國懸神宮がある。
本古墳群は前方後円墳・円墳・方墳で構成されており、円墳が一番多く、前方後円墳は1パーセントである。6世紀後半頃に造営されたと考えられ、それより1~2世代を下ると群集墳が造られなくなっている。その後の追葬や祭祀があまり行われていない。しかし、支群の井辺八幡山古墳群中に方墳の井辺1号墳が築造されている。つまり、族長だけがなおしばらく盟主墳的な古墳を造営しており、資料性がきわめて高い。なお、これらの群集墳の造墓は、6世紀末を下限としており、7世紀中葉の大化の薄葬令よりも約半世紀前に終わっている。
埋葬施設としては本古墳群築造の初期から5世紀中頃までは粘土槨(ねんどかく)や箱式石棺が用いられ、5世紀末以降から6世紀前半にかけては竪穴式石室や横穴式石室が造られるようになる。石室に用いられている石材は、緑泥片岩(りょくでいへんがん)で、本古墳群周辺で採取される。この石材は板状に剥離できるのが特徴である。板状に割った石材を床面から持ち送りながら積み上げ、石棚や数本の石梁を架構し、天井部は大きな板石で覆う。このような特色のある石室は、紀ノ川流域では紀の川市竹房にある竹房古墳、南側では有田川流域の有田市宮原にある宮原古墳などが分布範囲である。
また海南龍頭里古墳にも岩橋千塚古墳の工人集団が追加構築した痕跡が確認されている[1]。
発掘調査
- 1906年(明治39年)坪井正五郎が分布調査を行っている。
- 1907年(明治40年)大野雲外により発掘調査が行われ、石室の構築技術に特色があり、学界に報告された。
- 1918年(大正7年)に黒板勝美、岩井武俊、田沢金吾らによって調査された。
- 1921年(大正10年)『和歌山県史跡調査報告第一 - 岩橋千塚第一期調査』刊行される。
- 1931年(昭和6年)本古墳群の一部が国の史跡に指定される。文化財保護法制定後の1952年(昭和27年)、本古墳群の主要部分が国の特別史跡に指定された。1988年(昭和63年)と2000年(平成12年)に追加指定が行われている。
- 1980年(昭和55年)度から古墳の分布状況の詳細分布図作成のための事業が継続されている[2]。現在は、古墳群周辺65ヘクタールが野外博物館として整備されており、保全と共に一般に公開されている。詳細は和歌山県立紀伊風土記の丘を参照のこと。
主な古墳
前山地区の多くの古墳と大日山35号墳は、紀伊風土記の丘の園路上にあり、中には石室内が公開されている古墳もある。
前山地区

- 将軍塚古墳(前山B53号墳)
- 墳丘長42.5メートルの前方後円墳。石室内が公開されている。
- 知事塚古墳(前山B67号墳)
- 墳丘長30.5メートルの前方後円墳。
- 郡長塚古墳(前山B112号墳)
- 墳丘長30.5メートルの前方後円墳。
- 天王塚古墳(天王塚山古墳)
- 前山A46号墳
- 直径約27メートル、高さ約8メートルの前山A地区最大の円墳。6世紀後半の築造。石室内が公開されている。
大日山地区

整備された墳丘からは和歌山市中心部方面を望むことができる。
花山地区
大谷山地区
寺内地区
井辺地区
参考画像
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前山A13号墳 羨道
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前山A46号墳 玄室
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前山A56号墳 石室開口部
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前山A100号墳 箱式石棺
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前山A111号墳 竪穴式石室
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将軍塚古墳(前山B53号墳)
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将軍塚古墳(前山B53号墳)石室
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知事塚古墳(前山B67号墳)
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郡長塚古墳(前山B112号墳)
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天皇塚古墳 石室
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花山6号墳 墳丘
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花山6号墳 石室
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井辺八幡山古墳(井辺前山10号墳)
脚注
参考文献
(記事執筆に使用した文献)
- 吉田, 宣夫「岩橋千塚古墳群」『図説 日本の史跡 第3巻 原始(文化庁文化財保護部史跡研究会監修)』同朋舎出版、1991年。ISBN 4810409260。
関連文献
(記事執筆に使用していない関連文献)
- 丹野拓・米田文孝『紀国造家の実像をさぐる 岩橋千塚古墳群』新泉社〈シリーズ「遺跡を学ぶ」126〉、2018年。 ISBN 9784787718365。
- 『岩橋千塚古墳群総括報告書I』和歌山県教育委員会、2025年。 - リンクは奈良文化財研究所「全国文化財総覧」。
関連項目
岩橋千塚古墳群と同じ種類の言葉
固有名詞の分類
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