常呂遺跡とは? わかりやすく解説

常呂遺跡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/29 22:17 UTC 版)

常呂遺跡(ところいせき)は、北海道北見市(旧常呂郡常呂町)にある擦文文化期およびオホーツク文化期にかけての複合遺跡[注釈 1]。国の史跡に指定され[3]、常呂川河口遺跡墓坑出土品は国の重要文化財に指定されている。


注釈

  1. ^ 擦文時代は、本州の奈良時代平安時代鎌倉時代に相当し、擦文土器が広く用いられ、鉄器使用の広がりが全道的に確認できる金属器時代である[1]。オホーツク文化は、3世紀ころから13世紀にかけてオホーツク海沿岸から樺太・千島の地域にみられる文化で、その後期には一部擦文文化と並行する北方海洋民族の文化である[2]。特に土器装飾、建物形態、墓制などにおいて、擦文文化とは異なるきわだった特徴を有する[2]
  2. ^ 旧石器時代の遺跡として岐阜第二遺跡、縄文・続縄文の遺跡としてトコロチャシ跡遺跡、トコロ貝塚、常呂川河口遺跡などがあり、縄文以降の遺跡は他時期にも営まれた複合遺跡となっている[6]。「ところ遺跡の森」は、北海道地方のなかでも独自の歴史を歩んだオホーツク地域の文化の変遷を、発掘調査によって出土した考古資料を実見することで学習できる施設となっている[6]
  3. ^ ワッカ原生花園は、2001年10月、北海道遺産に選定されている[7]

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