文書木簡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/19 04:09 UTC 版)
日本最古級の木簡は、奈良県桜井市の山田寺跡で堆積した地層の更に下層から出土した習書木簡の削屑で、年代を記した最古の木簡は、大阪府大阪市難波宮跡から出土した『戊辰年』と記された木簡であるとされているが、元号ではなく推察で確証はない。そして、これらの段階で既に、文字の使用が珍しくなかったことがうかがわれるが、点数が一気に増加するのは672年以降の天武天皇の時代で、文書行政の整備がその背景にある。その物的証拠となる文書木簡は、7世紀後半から奈良時代と平安時代の10世紀までを中心に使われた。 日本に文字が入ってきたとき、中国では既に紙が普及しつつあり、紙と木簡・竹簡が併用されていた。日本もそれを踏襲し、比較的短い文書についてだけ木簡を使った。すべての文書に紙を使わなかったのは、当時まだ紙が高価だったためでもあるが、簡単に壊れない木の耐久性を活用した面もある。 文書木簡は、役所の間の連絡に使った文書(狭義の文書木簡)と、日常事務の帳票・記録(記録木簡)の二種に大別される。人を召還する文書、飯を請求する文書など短い連絡・請求に用いられる木簡、官吏の人事考課用に一人一枚ずつ作って勤務評定を記した木簡、倉庫の出納を記録した倉札などがある。形は短冊形が多く、記録木簡の中には、板に孔をあけて紐や棒を通したものがある。 比率的にみると、7世紀の文書木簡には帳簿類の数が多く、宛先を持つ文書(狭義の文書)は少ない。その狭義の文書木簡では、宛先である某に対して「某の前で申す」という意味の句から始めるものが目立つ。前白木簡という。目上に対するものだけでなく、対等の関係でもみられる。また、連絡用の文書には日付がほとんどない。声を張り上げて伝えたり宣べたりすることで公式業務がなされた口頭行政が背景にあるかと言われる。書き方は一行にずらずら書き並べ、字配りがない。年を記すときには干支が使われ、元号は使われない。 これに対して8世紀の文書木簡は、差出・宛所、元号日付を字配りよく配置し、官の上下関係により符・移・解といった字を使い分け、書式が整ってくる。大宝元年(701年)制定の大宝令の影響とされる。
※この「文書木簡」の解説は、「木簡」の解説の一部です。
「文書木簡」を含む「木簡」の記事については、「木簡」の概要を参照ください。
- 文書木簡のページへのリンク