文書発給様式からの考察
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/05/07 19:40 UTC 版)
古河府成立の時期には、関東の武士や寺社に対する文書発給に変化が見られた。ひとつは発給対象の拡大であり、従来は公方の直状を受け取ることが無かった階層も対象になったことである。もうひとつは「厚礼化」であり、従来から発給対象だった階層についても、文書の形式が鎌倉府期に多く見られる御判御教書から御内書へと移行し、同時に書止と署名の形式も変化している。これは「奉行人による組織的な文書発給体制から、公方と近習を中心とした体制へと移行」したことを示すとともに、関東武士を束ねる紐帯として、公方との個人的な関係が重要になったことを意味する。これら文書発給の変化は、公方・足利成氏が関東の情勢変化・鎌倉府崩壊という現実に直面したとき、柔軟に対応した結果であると評価されており、父の持氏と異なって、享徳の乱を最後まで戦い抜いた要因の一つとも考えられる。
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