文書目録の分析::暗殺記録再評価委員会(1992年〜1998年)
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「ケネディ大統領の検死」の記事における「文書目録の分析::暗殺記録再評価委員会(1992年〜1998年)」の解説
暗殺記録再評価委員会(英: Assassination Records Review Board, ARRB)は、ジョン・F・ケネディ大統領暗殺記録収集法(英語版)(1992年)によって組織され、暗殺に関連する政府記録全ての収集と公開を義務付けた。委員会の実際の作業は1994年に始まり、最終報告書は1998年に公表された。1991年のオリバー・ストーン監督作品『JFK』では、委員会発足のきっかけとなった暗殺記録収集法の可決に関して疑問が投げかけられていたが、再評価委員会は映画の結論に関する市民の不安を部分的に認めた。加えて映画について、「連邦捜査局 (FBI) 、中央情報局 (CIA) などのアメリカ合衆国政府職員、さらに軍部を共謀者に仕立て上げた、ケネディ大統領暗殺事件に関する説を普及させた」と述べた 再評価委員会で軍事記録に関する主任分析者を務めたダグラス・P・ホーン (Douglas P. Horne) は次のように述べている。 再評価委員会の設立趣意書としては、暗殺に関する文書を見つけて再分類し、それらがアメリカ国立公文書記録管理局の新しい『JFK記録集』に確実に配置され、公衆が自由に使えるようになることが単純な目的だった。[アメリカ合衆国]議会は暗殺記録再評価委員会に関して、ケネディ大統領の暗殺を再調査することも、暗殺について結論を導くことも望んではいなかったが、スタッフはこの中立的・非敵対的で真実を見つけ出そうという作業を通じ、将来行われるであろう暗殺に関する医学的証拠の『解明』に貢献できればと考えていた。全ての証言録、そして数多のインタビューの書面記録は、今や同じコレクションに追加され、一般の人々へ開かれている。再評価委員会は厳密に中立的な立場を貫いたため、これらの資料は全て、コメントなしでJFKコレクションに追加された。 — ダグラス・P・ホーン 再評価委員会は、ケネディの検死に関してもっと完璧な記録を作ろうと考え、追加の証人を探すことになった。1998年7月に再評価委員会が発表したスタッフ報告書では、ベセスダ海軍病院で行われた検死の欠点について強調された。この中では「ケネディ大統領の暗殺に関する多くの悲劇の1つは、検死記録の不完全さと、現存している記録が秘密にされているために起こった疑いの目であると書いている。 再評価委員会のスタッフ報告書では、記録に残る頭部写真はケネディのものではなく、ケネディが受けた衝撃より損傷がはるかに少ないと主張している。検死に携わったJ・ソーントン・ボズウェルはこういった主張に反論した。委員会では更に、大きな欠損はなかったと示す写真と矛盾して、検死医やパークランド記念病院のスタッフも含めて大勢が、大統領の後頭部に大きな傷を診ていることを指摘している。委員会とそのメンバーであるJeremy Gunn は、目撃者たちの証言に関する問題として、ひとつの証言を様々な理論の「証拠」にするのではなく、全ての証拠を吟味し、ヒューマンエラーについても考えるよう求めている。
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