暗殺について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 04:28 UTC 版)
三島は、〈民主主義と暗殺はつきもので、共産主義と粛清はつきものだ〉と前置きし、〈共産主義の粛清のほうが数が多いだけ、始末が悪い〉、〈暗殺の中にも悪い暗殺といい暗殺がある〉として、全体主義におけるアウシュビッツなどの大量殺人や粛正は、権力側が安全で何の危険もない立ち位置から秘密裏に行なう卑怯な行為であって、一対一の決闘的な意味合いを持った全身全霊を賭けた暗殺とは違うとしている。 そして、本来あるべき暗殺とは、〈暗殺者が必ずあとですぐ自殺するという日本の伝統〉に則した武士の作法でなければならないとして、旅客機に爆弾を仕掛けて関係のない人々を巻き込んだり、〈女子供〉を殺したりすることは絶対にやってはいけない卑劣な行為だと説明しながら、無関係な家政婦を殺した「嶋中事件」の小森を非難し、「浅沼稲次郎暗殺事件」の山口二矢については、〈非常にりっぱだ。あとでちゃんと自決しているからね。あれは日本の伝統にちゃんと従っている〉と認めている。 そうした捨て身の暗殺が日本からなくなってきたことと、政治の世界が茶番劇化してきたこととの関連性を三島は考察しながら、〈大体卵が先か鶏が先かよくわからぬが、政治家がみんな腰抜けになつたので暗殺がなくなつたのと同時に、暗殺がなくなつたから、政治家はますます腰抜けになつた〉、〈たとえば暗殺が全然なかったら、政治家はどんなに不真面目になるか、殺される心配がなかったら、いくらでも嘘がつける〉、〈口だけでいくらいっていても、別に血が出るわけでもない。痛くもないから、お互いに遠吠えする。民主主義の中には偽善というものがいつもひたひたと地下水のように身をひそめている〉とし、戦後アメリカによって与えられた憲法の下、〈美しき偽善〉で暮らしている一見平和な日本における国会と、その商売化した国会議員の仕事が、国民という〈お客〉に対する媚びを忘れず〈手先だけでコチョコチョと綺麗事を作成する仕事〉に堕したと語っている。 大体政治の本当の顔というのは、人間が全身的にぶつかり合い、相手の立場、相手の思想、相手のあらゆるものを抹殺するか、あるいは自分が抹殺されるか、人間の決闘の場であります。それが言論を通じて徐々に徐々に高められてきたのが政治の姿であります。しかしこの言論の底には血がにじんでいる。そして、それを忘れた言論はすぐ偽善と嘘に堕することは、日本の立派な国会を御覧になれば、よくわかる。 — 三島由紀夫「国家革新の原理――学生とのティーチ・イン その一」命の危険がなくて、金がフンダンに入つて、威張り放題に威張れるといふのでは、こんな好い商売はないといふわけである。これでせめて、自分の政見に忠実に行動すれば、暗殺されるといふスリルがあつたら、もう少し、嘘八百を並べられなくなるだらうと思ふ。イノチガケといふことがなくなつたので、政治家といふ職業は、もう全然、男らしい仕事ではなくなつたと私は考へます。、三島由紀夫「不道徳教育講座 暗殺について」 昔は、命を狙われた板垣退助のように「板垣死すとも自由は死なず」といった名文句まであったことを三島は例に挙げ、そんな身の危険のほとんどない戦後民主主義社会の政治状況と、〈言論と日本刀〉、〈一人の日本刀の言論〉という「千万人といへども我行かん」(孟子の言を元にした吉田松陰の言葉)の精神を以下のように対比的に語っている。 日本ではこうやって言論が自由自在に生きている。確かに美しい風景ではあるけれども、何か身を賭けた言論、身体を賭けた言論というものが少ない。自分一人で、一千万人を相手にしても退かないという言論の力が感じられない。(中略)私が一番好きな話は、多少ファナティックな話になるけれども、満州でロシア軍が入ってきたときに――私はそれを実際にいた人から聞いたのでありますが――在留邦人が一ヵ所に集められて、いよいよこれから武装解除というような形になってしまって、大部分の軍人はおとなしく武器を引き渡そうとした。その時一人の中尉がやにわに日本刀を抜いて、何万、何十万というロシア軍の中へ一人でワーッといって斬り込んで行って、たちまち殴り殺されたという話であります。私は、言論と日本刀というものは同じもので、何千万人相手にしても、俺一人だというのが言論だと思うのです。一人の人間を大勢で寄ってたかってぶち壊すのは、言論ではなくて、そういうものを暴力という。つまり一人の日本刀の言論だ。(中略)そして、日本で言論と称されているものは、あれは暴力。そして、日本で日本刀が暴力だと思われている時には、たった一人の言論の決意というものを信じられなくなった時代の現われだと、私はそんなふうに考えております。 — 三島由紀夫「国家革新の原理――学生とのティーチ・イン その一」
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