慧灌とは? わかりやすく解説

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えかん 【慧灌】

日本三論宗初祖高麗の人。中国吉蔵三論学び、六二五(推古三三年来日、奈良河内布教造寺した。(生没年不詳)→ 三論宗

慧灌

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/26 16:30 UTC 版)

慧灌
飛鳥時代
生地 高句麗
宗派 三論宗
寺院 日厳寺、元興寺、井上寺
吉蔵
弟子 道慈
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慧灌(えかん、生没年不詳)は、飛鳥時代高句麗王日本の朝廷に貢上し、来日した[1]。日本の三論宗の祖。

概要

初めに入って中国嘉祥大師吉蔵)から三論教学を学んだ[1]。『日本書紀』によると、625年(推古33年)正月高句麗王が日本の朝廷に貢上して来朝した(貢上=「貢物を差し上げる」)[1]。勅命により元興寺に住した。同じ年の夏は旱魃となり、その際、三論を講じて僧正に任じられたというが、一説によれば孝徳天皇のときに僧正に任じられたともいう。その後、河内国に井上寺(いかみじ)を建立し、三論宗を広めた。その後、福亮智蔵に受け継がれ、智蔵は入唐し、三論教学を学び、法隆寺に住した。その後、道慈に受け継がれ、道慈は入唐し、三論教学を学び、大安寺に住した。

脚注

  1. ^ a b c 慧灌』 - コトバンク


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