明恵とは? わかりやすく解説

みょうえ〔ミヤウヱ〕【明恵】

読み方:みょうえ

[1173〜1232]鎌倉初期の僧。華厳宗中興功労者紀伊の人。諱(いみな)は高弁栂尾(とがのお)山に高山寺開き華厳宗興隆道場とした。また、宋から栄西将来した茶の栽培でも知られる。著「摧邪輪(ざいじゃりん)」「華厳唯心義」など。


明恵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/24 14:58 UTC 版)

明恵(みょうえ)は、鎌倉時代前期の華厳宗。法諱は高弁(こうべん)。明恵上人・栂尾(とがのお)上人とも呼ばれる。父は平重国。母は湯浅宗重の四女。現在の和歌山県有田川町出身。華厳宗中興の祖と称される[注釈 1]


注釈

  1. ^ 華厳宗は、華厳経にもとづく南都六宗の一学派。奈良時代に隆盛したが平安時代にはいると勢力を失い、天暦元年(947年)に光智が華厳専修道場として東大寺尊勝院を設立してやや衰勢を取り戻したが、それ以後、再び不振に陥った。藤田(1966)p.178
  2. ^ これを「公請(くしょう)」と呼ぶ。松尾(1995)p.37
  3. ^ このとき、明恵は文覚より、本尊として運慶作の釈迦如来像をあたえようといわれている。藤田(1966)p.178
  4. ^ 承久元年(1219年)には金堂が完成して快慶作の釈迦如来像が安置され、嘉禄元年(1225年)には鎮守堂、嘉禄3年(1227年)には三重塔なども建立されて明恵在世中、大門や阿弥陀堂もつくられた。藤田(1966)p.178
  5. ^ これにより、栂尾はのちに茶の産地となっている。
  6. ^ 現代の藤白神社九十九王子のひとつ。王子とは参詣途上で儀礼を行う場所のこと。

参照



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明恵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/02 10:16 UTC 版)

神秘家列伝」の記事における「明恵」の解説

1998年、「怪」第参号 1173年生まれた「明恵」は16歳剃髪出家し東大寺戒壇院法師となり、3年後19歳になった時から不思議な夢を見るうになる以来亡くなる60歳までの40年間に渡り自分見た夢を記し夢記」という本を残す。また、明恵は23歳時に紀州の白上の峰で修行始めるが、その最中淫らな夢を見たことに憤慨し自らの耳を切り取ってしまう。

※この「明恵」の解説は、「神秘家列伝」の解説の一部です。
「明恵」を含む「神秘家列伝」の記事については、「神秘家列伝」の概要を参照ください。

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