みょうえ〔ミヤウヱ〕【明恵】
明恵
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/24 14:58 UTC 版)
明恵(みょうえ)は、鎌倉時代前期の華厳宗の僧。法諱は高弁(こうべん)。明恵上人・栂尾(とがのお)上人とも呼ばれる。父は平重国。母は湯浅宗重の四女。現在の和歌山県有田川町出身。華厳宗中興の祖と称される[注釈 1]。
注釈
- ^ 華厳宗は、華厳経にもとづく南都六宗の一学派。奈良時代に隆盛したが平安時代にはいると勢力を失い、天暦元年(947年)に光智が華厳専修道場として東大寺尊勝院を設立してやや衰勢を取り戻したが、それ以後、再び不振に陥った。藤田(1966)p.178
- ^ これを「公請(くしょう)」と呼ぶ。松尾(1995)p.37。
- ^ このとき、明恵は文覚より、本尊として運慶作の釈迦如来像をあたえようといわれている。藤田(1966)p.178
- ^ 承久元年(1219年)には金堂が完成して快慶作の釈迦如来像が安置され、嘉禄元年(1225年)には鎮守堂、嘉禄3年(1227年)には三重塔なども建立されて明恵在世中、大門や阿弥陀堂もつくられた。藤田(1966)p.178
- ^ これにより、栂尾はのちに茶の産地となっている。
- ^ 現代の藤白神社。九十九王子のひとつ。王子とは参詣途上で儀礼を行う場所のこと。
参照
- ^ a b c d e 圭室(1979)pp.120-121
- ^ a b c d e f g h 納冨(2004)
- ^ a b c d e f g h 藤田(1966)p.178
- ^ a b 松尾(1995)p.37
- ^ a b c d 大隅(1989)p.209
- ^ 『三時三宝礼釈』 - 日本大蔵経. 第42巻 宗典部 華厳宗章疏 下
- ^ 妙法曼荼羅の形相の起源をめぐって 2
- ^ 家永(1982)pp.128-129
- ^ 松尾(1995)pp.136-137
- ^ 網野(1997)p.139
- ^ 町田(1998)
- ^ 山本(1982)
- ^ a b 松尾(1995)p.102
- 1 明恵とは
- 2 明恵の概要
- 3 明恵の非人救済神話
- 4 脚注
明恵
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/02 10:16 UTC 版)
1998年、「怪」第参号 1173年に生まれた「明恵」は16歳で剃髪・出家し東大寺の戒壇院で法師となり、3年後の19歳になった時から不思議な夢を見るようになる。以来、亡くなる60歳までの40年間に渡り自分が見た夢を記し「夢記」という本を残す。また、明恵は23歳の時に紀州の白上の峰で修行を始めるが、その最中に淫らな夢を見たことに憤慨し自らの耳を切り取ってしまう。
※この「明恵」の解説は、「神秘家列伝」の解説の一部です。
「明恵」を含む「神秘家列伝」の記事については、「神秘家列伝」の概要を参照ください。
明恵と同じ種類の言葉
固有名詞の分類
- >> 「明恵」を含む用語の索引
- 明恵のページへのリンク