現在の山田寺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 07:39 UTC 版)
山田寺は明治の廃仏毀釈で廃寺となり、明治25年(1892年)に再興された。現在は無住で講堂跡付近に観音堂と庫裏が建つのみである。現・山田寺の山号は大化山。宗派は法相宗。本尊は木造十一面観音で室町時代後半の作と思われる。境内には天保12年(1841年)、石川麻呂の末裔とされる山田重貞によって立てられた「雪冤(せつえん)の碑」がある。「雪冤」とは「無実の罪をはらす」の意で、書家・貫名海屋の書になるものである。 山田寺跡は明治期に荒廃した折に庭園用に礎石が持ち出され、そのうちの一つが大阪の藤田美術館に存する。1916年(大正5年)に建築史家の天沼俊一が調査をしたことをきっかけに1921年に国史跡、1952年に特別史跡に指定。1975年に指定地を国が買い上げて、2001年に史跡公園として整備され現在に至っている。
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