現在の岩崎城
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 10:25 UTC 版)
「表忠義」岩崎城在名古屋之東南距岡崎北距小牧各数里小牧之役城主丹羽氏次従徳川氏之軍弟氏重留守敵将池田信輝欲襲岡崎間道潜兵過其城下氏重年甫十六患痘臥蓐聞敵至蹶然執刀而木起母氏見之喜歎交至謂日汝兄従軍汝以死禦敵我興汝共死不以為憾也取鎧授氏重拝謝揮老幼婦女避干城外妙仙寺跨白馬提長槍而出士卒感奮里民工商懐・・・ — 『愛知県史蹟名勝天然記念物調査報告書』「岩崎城址」大正15年より抜粋 廃城後は300年以上も整備されることは無く、本丸跡は畑となっていた。明治43年(1910年)に旧尾張藩士らの手により、岩崎城の戦いで戦死した丹羽軍将兵を慰めるため、「表忠義」の題を持つ記念碑が本丸の櫓台に建てられた。現在でも毎年4月9日には慰霊祭が行われている。 また昭和62年(1987年)には、展望塔として五重構造の天守閣(模擬天守)が築城、「岩崎城址公園」として整備され、併設する岩崎城歴史記念館には岩崎城の歴史や城跡からの出土品などが展示されている。ただし、史実を無視した模擬天守を建築する一方で、一部の遺構を破壊したため、城郭研究者の千田嘉博に批判されている。 また整備中に偶然発見された古墳(6世紀に建てられたとされる)を再現したものが公園内に展示されている。その他、二の丸には水琴窟を持った日本庭園が造られている。
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