寺院の遺構
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 07:02 UTC 版)
昭和57年(1982年)に鶴岡八幡宮の敷地内を発掘したところ、寺院の遺構と思われるものや土葬された遺骨が発掘された。福島金治は『阿娑縛抄』第百十四「妙見部」に引用されている仁平3年(1153年)8月9日付の「妙見菩薩供注進状」の中で、聖昭が鳥羽法皇と藤原忠通の諮問に対して国内の妙見信仰の拠点として比叡山北谷の妙見堂と並んで挙げている「鎌倉生源寺」がその寺院であった可能性を指摘している。生源寺は廃仏毀釈によって廃された松源寺(岩窟不動尊の東にあった)の前身と推測されており、事実とすれば鶴岡八幡宮建設時に移転をしたことになる。
※この「寺院の遺構」の解説は、「鶴岡八幡宮」の解説の一部です。
「寺院の遺構」を含む「鶴岡八幡宮」の記事については、「鶴岡八幡宮」の概要を参照ください。
- 寺院の遺構のページへのリンク