三草山清三寺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/09 14:18 UTC 版)
この山の麓にある神山という集落には慈眼寺という寺がある。この寺の観音堂の前に建つ宝篋印塔は、もともと、この山の山頂付近にあった三草山清山寺という推古天皇の時代に日羅なる僧侶が開基した寺にあった物である。この寺は時代が下り戦国時代に入ると度重なる戦乱にあったために、天正元年に廃寺となり、その宝篋印塔は山麓の神山村(現在の神山集落)に堂舎と共に移建され今にいたっている。能勢町内にはこの他にも数多くの宝篋印塔が存在しているが当寺の塔は若干の傷みや損傷はあるもののほぼ完全な形で残されており、その大きさや技法ともに町内に現存するものの中で最も大きい、または優れたものであるという評価もある。難点としては、一部に剥離がある点が挙げられるが、これも元亀2年の戦禍によるものであろうという見通しもあり、その凄まじさを示す物であるという評価もある。なお、この清三寺は廃寺となった後も山頂付近には寺院の遺構などが残されている
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