寺院以外への波及
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 06:06 UTC 版)
694年に遷都した藤原京に営まれた藤原宮は、初めて宮殿に瓦が葺かれた例である。この際に使用された瓦は畿内周辺の複数の窯で作られたことが分かっており、その制作方法などから瓦の生産体制について考察が行われている。これ以降は宮殿に瓦が葺かれることが定着するが、『続日本紀』によると平城宮の東院玉殿には瑠璃瓦が葺かれたとに記され、平安宮では大極殿などの中枢建物には緑色の釉薬をかけた瓦が使われていた事が出土品から分かっており、釉薬瓦が朝廷の権威を象徴するために用いられたと考えられている。なお釉薬瓦は全面ではなく軒先や棟など屋根を縁取る部位に使われたと考えられている。また総瓦葺とされたのは政庁のみで、居住スペースであった内裏は檜皮葺で、棟が甍棟であったと考えられる。 貴族の邸宅においては奈良時代と平安時代では様相が異なる。『続日本紀』によると724年の太政官奏に「都を壮麗にするために五位以上の貴族、可能であれば庶民も瓦葺、朱塗り、漆喰仕上げの建物にするよう」と瓦葺が奨励されており、長屋王邸宅には発掘調査から総瓦葺の建物があったことが分かっている。平安時代では『伴大納言絵詞』などで描かれる高級貴族の邸宅は檜皮葺に甍棟で描かれており、発掘調査でもこれが裏付けられている。『延喜式』巻34では建物の規模に対して棟に載せる瓦の量を規定しており、建物の規模に応じて格付けをする目的で棟の瓦を高く積んでいたと考えられる。
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