海運業とは? わかりやすく解説

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かいうん‐ぎょう〔‐ゲフ〕【海運業】

読み方:かいうんぎょう

海上輸送によって利益を得ることを目的とする事業また、その会社


海運

(海運業 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/17 06:37 UTC 版)

海運(かいうん、英語: marine transport)は、水運のうち、海上を利用した貨物輸送旅客輸送である。


注釈

  1. ^ 運輸業界では、物流効率や物流量を計る尺度として「輸送トンキロ」を使用する。輸送トンキロは、1トンの貨物を1キロメートル運ぶ場合の人件費燃料費、減価償却費など、その輸送量を表現するために使用される。まれに「輸送キロトン」とも云う。
  2. ^ 自動車工業会調べ
  3. ^ 雑学 - 現在でも日本の損害保険会社に「海上」の名を冠しているものがあるのは、ここから損害保険が発達したからである。
  4. ^ 日本に偏りすぎた雑学:日本の場合、愛媛県今治市の船主達は「エヒメセンシュ」として世界的に有名である。
  5. ^ 日本だけの話題:日本郵船が日本貨物航空を傘下に収めたほかヤマトホールディングスと提携したり、商船三井近鉄エクスプレスと提携したことは、この流れに沿ったものである。

出典

  1. ^ 池田良穂監修 『船のすべてがわかる本』 ナツメ社 2009年2月9日発行 ISBN 9784816346408
  2. ^ 吉田準三「わが国明治期の会社制度の展開過程・(続編)」『流通經濟大學論集』第27巻第4号、1993年、1-16頁、NAID 120006218952 
  3. ^ 船舶の運営は大本営に一元化(昭和20年5月2日 朝日新聞)『昭和ニュース辞典第8巻 昭和17年/昭和20年』p29 毎日コミュニケーションズ刊 1994年
  4. ^ https://www.mlit.go.jp/hakusyo/transport/shouwa39/ind060103/001.html
  5. ^ フジサンケイビジネスアイ (2009年7月28日). “視界不良、海運に大波 郵船・川汽が通期赤字”. 2009年8月4日閲覧。
  6. ^ 外国輸送機関別輸送量の推移(貨物 輸送トンキロ)』(レポート)国土交通省、2012年https://www.mlit.go.jp/statistics/details/tetsudo_list.html 
  7. ^ 国土交通省海事局 (2007年8月15日). “26.輸送機関別貨物輸送量の推移” (PDF). 2009年4月16日閲覧。
  8. ^ 国土交通省海事局 (2007年8月15日). “18.旅客輸送実績” (PDF). 2009年4月16日閲覧。


「海運」の続きの解説一覧

海運業

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/02/19 03:42 UTC 版)

ロバート・クオック」の記事における「海運業」の解説

1960年代マレーシア政府国有海運会社創設志向し原糖輸入に船をチャーターしていたKBに、海運会社創設可能性について調査依頼した1967年9月日本マレーシアの間で血債協定締結された際に、マレーシアラーマン首相金銭賠償かわりに特注船2隻を日本から得ることにした。 1968年11月、マ政府と諸企業合弁会社マレーシア国際海運公社英語版)(MISC)が設立されメッカ巡礼基金運営庁(英語版)(Lembaga Urusan dan Tabung Haji: LUTH)と曹氏有限公司Frank Tsao & Co. Ltd. (Liberia))およびKB設立当初主要株主となり、郭はMISC初代会長となった

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海運業

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 07:55 UTC 版)

川之石町」の記事における「海運業」の解説

川之石港は天然良港藩政期から積み出し港として栄えた。また近隣銅山から搬出される鉱石を運ぶ機帆船にぎわった

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海運業

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/06 00:53 UTC 版)

八馬財閥」の記事における「海運業」の解説

時事新報』で「樽廻船系の一方旗頭の八馬兼助は夙に酒造米穀売買運送並に酒類運送を業としたるもので最初より純然たる船主であった明治入って大和船より西洋帆船西洋帆船より汽船と巧に産業革命波に乗って社外船主一方の雄となったのである。」と紹介されている。 初代八馬兼介(兼翁)は、産をなした後、1878年明治11年)に風帆船西尾丸を買い入れて海運業に進出した1890年明治23年)にはドイツ汽船メリタ号を購入し、「多聞丸」と命名したメリタ購入後も中古汽船買い入れ多聞丸と名づけ多聞丸は18号にまで及んだ多聞丸以外にも久保丸、大正丸、勝立丸などがあった。 持船は、1903年明治36年)の1隻、714総トンから、1907年明治40年)の4隻、6739総トン1911年明治44年)の9隻、21103総トン増加し、八馬家中堅社外船主として成長遂げた1925年大正14年)には「八馬汽船株式会社」を設立した

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海運業

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ノルウェーの経済」の記事における「海運業」の解説

穀物海外からの輸入依存していたこと、水産業生計立てていたことから、海運業が盛ん。1968年には、ノルウェー世界商船隊10%タンカー14%を保有する世界4位の海運であった1970年代以降便宜置籍船により統計上、ノルウェー順位2008年現在、11になっているボスニア湾バルト海冬季凍結するため、スウェーデンキルナ採れる鉄鉱石は、ナルヴィクから英仏独へと出荷される

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海運業

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/15 00:25 UTC 版)

藤山要吉」の記事における「海運業」の解説

家督相続後藤山は、他人の船を動かして手数料をとるのではなく自前の船で仕事進めることを考えた。まず小型和船2隻を買い入れ小樽港から奥羽北陸兵庫大阪就航させた。この藤山先見の明時局合致し海上輸送重要性はさらに高まった折しも1880年明治13年の手宮線の開通により、小樽流通の要となっていた。それに伴い港湾整備倉庫建築進み入植者商人たち増加し、彼らを支えるための生活用品満載した北前船集結するなど、商業都市としての基盤作られ北海道開発玄関港として急速な成長遂げいている時代であったこうした時代において藤山は、本州からの入植者がさらに増え物資人々を運ぶ輸送船、特に鉄道のない地域にとって生活物資を運ぶ船が重要視される見た。そこで1887年明治20年)、地元漁師商人呼びかけ資本金集め小樽稚内を結ぶ航路開き天塩北見運輸会社設立した。これは小樽-稚内間の航路開かれた最初のことである。この会社の設立は、当時北海道の海運業がまだ未発達であり、有用な定期航路もまだ無かったことも理由にあった。 翌1888年明治21年)、回船問屋運送専用回漕店改め小樽港から北見沿岸各港への航路開き定期船運航開始した。これにより、開拓地との間に物資交流盛んになり、開拓民熱意かき立てられることになった海運王呼ばれる板谷宮吉は、1893年明治26年)に蒸気船購入したが、それは藤山や他の海運業者に刺激受けてのことともいわれている。 1894年明治27年)には日清戦争勃発したことで、日本海の海運業はさらに活発化し、小樽の海運業もさらに発展向かった。同1894年藤山167トン汽船小樽丸の新造手掛けた当時北見天塩方面使用され汽船日本郵船の矯竜丸のみだったことで、藤山実力が伺われる。 さらに1898年明治31年以降保有汽船次々増やしたまた、それまで和船から新型西洋汽船切替え、南は神戸下関から、北はロシア樺太ウラジオストクにまで航路広げ当時日露両国間の貿易品輸送旅客往来大い活躍した。 同1898年には海運業に並行して陸揚げ貨物保管し荷主金融に便利を与えることが必要と着想したことで、小樽運河沿いに石造り倉庫11棟を建設し藤山倉庫開業した。これは小樽での模範的な倉庫業とされ、後年には藤山倉庫の棟数、坪数業績伸張伴って倉庫漸増が行なわれた。 後に、日本郵船北海道内航路進出し、しかも逓信省命令利尻島礼文島就航始められた。日本郵船は大資本の上政府との関係親密であるため、地方資本である藤山らには太刀打ちできないかに見られたが、藤山地方の一海運会社でこそ可能なこともあるとして、事態静観する立場守った間もなく冬季到来すると、日本郵船定期便欠航多くなり、運賃値上げになるなど、庶民には使い勝手良いとは言えなくなった。このことで藤山は、北海道民のことを本当に考えているのは資本ではなく地元人々であり、自分道民便宜を図らなければ真の意味での近代化には成りえないとの考え新たにした。 しかし、今度悪天候により藤山持ち船が沈没するという不運に見舞われ1897年明治30年)、天塩漕運会社倒産至った。それにもめげずに藤山は、地道に船の運航続けた。 そんな藤山に、政府命令航路として小樽-天塩間、小樽-函館線函館-瀬棚線開設して運営するよう、政府から要請下った藤山の、北海道内いち早く航路開拓した先見性持前誠実さ政府は見逃さなかったのである藤山は、特に利尻礼文両島稚内航路は、沿岸および島民にとって生命維持するための唯一の交通機関であることから、政府補助金大小に関係なく、損害度外視してでも政府からの命令航路死守するよう努めた1901年明治34年以降小樽-天塩線1910年明治43年以降小樽-函館線開設して運営した1904年明治37年開戦日露戦争中は、所有船大半戦時御用船として就航させた。海上封鎖のために大型船港口沈め旅順港閉塞作戦においては小樽丸を旅順港沈めるなど、船舶閉塞作戦用いられ、その巨額国家補償金が、藤山にとって大きな追い風となった明治末期には、所有船13隻、総トン数は9千トンに昇った。小樽-稚内航路をさらに伏木-大阪まで延長し北海道航路では小樽-稚内をはじめ、小樽-函館青森寄港)、小樽-天塩函館-瀬棚航路持った。 こうして藤山海運規模時代と共に拡大していった。当時小樽は、1899年明治32年)に小樽港国際貿易港に指定され北海道代表的な貿易港日本国内外の船が往来する貿易拠点として繁栄極めていた。小樽運河沿いに倉庫が立ち並び移住者も相次ぎ人口函館に次ぐ6万人であった。その小樽発展にとって、藤山大きな推進力となった

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海運業

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蓬萊社」の記事における「海運業」の解説

大町桂月伝記伯爵後藤象二郎によれば蓬萊社蒸気船5隻を持っていたとのことである。北海道九州などとの海運業に加え貿易業ジャーディン・マセソン商会との事業)にも携わったとされるが、大町桂月伝記以外の史料乏しく詳細不明である。

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海運業

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日本の老舗一覧」の記事における「海運業」の解説

石崎汽船 - 1862年創業愛媛県松山市東海汽船 - 1889年創業日本郵船 - 1893年創業

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