八橋城とは? わかりやすく解説

八橋城

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/21 02:58 UTC 版)

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八橋城
鳥取県
城跡の丘を北から望む
別名 大江城、大江ノ城
城郭構造 平山城
天守構造 なし
築城主 行松氏
築城年 大永4年(1524年)以前
主な城主 行松氏杉原盛重杉原景盛、南条元信
遺構 曲輪石垣
指定文化財 琴浦町指定史跡
再建造物 なし
位置 北緯35度30分12.6秒 東経133度40分23.8秒 / 北緯35.503500度 東経133.673278度 / 35.503500; 133.673278座標: 北緯35度30分12.6秒 東経133度40分23.8秒 / 北緯35.503500度 東経133.673278度 / 35.503500; 133.673278
地図
八橋城
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八橋城(やばせじょう)は、鳥取県東伯郡琴浦町大字八橋にあった日本の城。琴浦町指定史跡[1]。城跡はJR八橋駅のすぐ横にあり、線路によって二分される。大江城とも呼ばれる。

概要

酒井片桐飛行殉難碑

戦国時代、東伯耆の要衝である。行松氏歴代の城であったが、尼子氏毛利氏の争乱の舞台となった。

城跡には、飛行機をかたどった「酒井片桐飛行殉難碑」がある。1932年(昭和7年)9月15日、朝日新聞社機が八橋沖に墜落した事故によって殉職した酒井憲次郎操縦士[注釈 1]・片桐庄平機関士[注釈 2]を記念するもので、事故の翌年の1933年(昭和8年)に建立された[4]。同機は満州から日満議定書調印のニュースを積んでの帰途であった[4][2]

また南麓にある「泰玄寺」は城主代々の菩提寺と伝え、『伯耆志』には杉原盛重の実の墓が所在すると記される。

構造

  • 「大手は東向き、本丸の高さ麓より26間、境地南北32間、東西23間、巡り87間あり云々」と記録に残る。石垣が現存する。

歴史

脚注

注釈

  1. ^ 酒井は、1928年(昭和3年)にハーモン・トロフィーを受賞したベテランパイロットであった[2]
  2. ^ 片桐もベテラン機関士として知られ[2]、1925年(大正14年)に朝日新聞社が企図した訪欧飛行に、「東風(こちかぜ)」号(河内一彦操縦士)の機関士として参加している[3]

出典

  1. ^ 「八橋城跡」琴浦町公式HP
  2. ^ a b c 空港の歴史ダイジェスト〈第1回 空港のはじまり編〉”. 千歳市. 2025年7月21日閲覧。
  3. ^ 本橋和彦 (2006年3月15日). “空のシルクロード -初風号、東風号の冒険-”. 日本航空協会. 2025年7月21日閲覧。
  4. ^ a b 朝日新聞社機の殉難碑「記憶薄れつつある」 島根大講座で市民ら訪問”. 朝日新聞デジタル (2023年6月4日). 2025年7月21日閲覧。

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