出自の謎とは? わかりやすく解説

出自の謎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 08:42 UTC 版)

池田氏」の記事における「出自の謎」の解説

近世大名池田氏は、摂津池田氏中興の祖である充正の弟の恒正、あるいはそれより3代後の恒利が尾張移った時から始まるとし、摂津池田氏同族であることを強調しているが、不確実でなんら確証もない。 江戸時代初期江戸幕府諸大名命じてその系図提出させたことがあった。池田氏尾張藩儒官堀正意依頼し系図作成してもらったが、鳥取池田家分家鉄砲洲家(若桜池田家)の5代当主学者池田定常自分系図調べた結果、「今の武家民間よりあらわれて大名になった者が多いのでその先祖はよくわからない池田家池田信輝(恒興)より以前その実一決しがたい」と述べている。また、新井白石も「池田恒利をもって祖としそれより以前疑問」と言述している。 その白石作成した『藩翰譜』(または後世の『寛政重修諸家譜』)によると、源頼光末裔自称し頼光4世孫でかつ源三位頼政の弟にあたる泰政が初め池田氏称したとされる。泰政の9世孫と称する教依(のりより)は内藤満之の娘を妻とした。この妻はかつて楠木正行嫁いでいたが、正行戦死で教依に嫁いだという。そのため、教依の子教正正行の子であるという説が生まれ、この説は池田光政以降根強く続いたといわれる。そして、教正5世孫にあたるのが池田恒利というものである。しかしこの系譜確証性が乏しい。 『寛永諸家系図伝』の作成者林羅山(あるいはその子大学頭鵞峰)の言述によると、寛永9年1633年)に藩主の座に就いたばかりの岡山藩主池田光政は「わが家遠祖源頼光流とするように」と自らの系譜作成依頼したという。 池田恒利滝川氏出身で、池田政秀の娘(養徳院)の婿となり池田姓を名乗ったが、滝川氏近江国土豪とされることから、この池田氏もまた近江池田氏一族ではないかという説もある。 また、文政4年1821年)に美濃池田荘本郷村龍徳寺から池田恒利の戒名養源院殿心光宗禅定門」の五輪塔発見されたことから、近世大名池田氏美濃池田氏系統との説もある。

※この「出自の謎」の解説は、「池田氏」の解説の一部です。
「出自の謎」を含む「池田氏」の記事については、「池田氏」の概要を参照ください。


出自の謎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/05 03:59 UTC 版)

山中幸盛」の記事における「出自の謎」の解説

幸盛の前半生は、確実な史料残っておらず不明な点が多い。軍記史料も、生まれた場所や年など記載相違がある。

※この「出自の謎」の解説は、「山中幸盛」の解説の一部です。
「出自の謎」を含む「山中幸盛」の記事については、「山中幸盛」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「出自の謎」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「出自の謎」の関連用語

出自の謎のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



出自の謎のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの池田氏 (改訂履歴)、山中幸盛 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS