出自の諸説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/06/08 00:48 UTC 版)
藤原秀郷の系統である藤姓足利氏(源姓足利氏とは別系統)の一族という[要ページ番号]。観応元年(1350年)に、佐野氏の一族・桐生綱元(鎌倉時代末期の人物、桐生天満宮を祀る)の末裔とされる桐生(又六郎)行阿入道国綱が、柄杓山城を築き、拠点としたのが始まりとされる(『桐生老談記』、『山田郡誌』など)。一方、『桐生市史』[要文献特定詳細情報]は藤姓足利氏の系譜に異同が多く、『吾妻鑑』にみえる桐生六郎の末裔とする『桐生地方史』の説が有力とした。「逆臣」となった六郎の名をはばかったのではとしている。『桐生市史』は桐生六郎を「前期桐生氏」、本項の桐生氏を「後期桐生氏」と分類した。
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