出自をめぐる諸説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/14 04:48 UTC 版)
安倍貞任第2子の高星を始祖とする系譜を伝えている が、その実際の家系については、『保元物語』に登場する信濃の安藤次、安藤三との関係などを指摘する説、『吾妻鏡』に登場する三沢安藤四郎との関係などを指摘する説、駿河国安東庄由来とする説 がある。なお三河安藤氏に伝わる『安藤系図』(『続群書類従』巻第170所収)には、源頼朝の奥州攻めに際して安藤小太郎季俊が先導をし、その子季信が幕府から津軽の警護を命じられたとある。 安東氏の後裔である旧・子爵秋田家には、家祖の安倍貞任を長髄彦の兄である安日の子孫とする系図が残っており、このため安東氏を蝦夷とする見解と蝦夷ではないとする見解の対立がある が、家系伝承については蝦夷の祖を安日に求めた室町期成立の『曽我物語』の影響を受けている可能性が高いため、信憑性は低いと考えられている。ただし、自らを「朝敵」であった蝦夷の子孫とする系図を伝えてきたことが、北奥地方に独特の系譜認識を示すものとされている。 1990年代以降の研究では、陸奥国一宮鹽竈神社の社人であり当神社の神領管理をしていたこと、「津軽山賊」と記載された史料があることなどから、海民、山民としての性格を持つ豪族であったとも推定されている。
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