出自・事績
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 08:21 UTC 版)
兄は上野国吾妻郡羽根尾(現・長野原町)の国衆・羽尾道雲でその次弟にあたる。輝幸や次兄・海野幸光が海野氏を名乗った経緯については不明であるが、そもそも羽尾氏は三原荘の地頭となった海野幸氏の子孫を称しており、天文10年(1541年)に上野に亡命してきた海野棟綱の名跡を継いだ可能性があると平山優は指摘している。 当初は兄・道雲と共に同郡の武田氏配下国衆で岩櫃城主・斎藤憲広に従っていたが、永禄6年(1563年)に斎藤憲広が武田氏より離反した際、真田信綱・室賀満正の調略に応じて次兄・幸光や斎藤弥三郎とともに武田軍に内応した(『加沢記』)。 以後は兄幸光とともに武田氏配下の国衆となり、天正8年(1580年)5月時点で岩櫃城将として岩櫃城に配置されたことが確認できる。『加沢記』によると真田幸綱の推挙により武田信玄より「吾妻郡代」に任じられ岩櫃城領を管理し、さらに嫡男・幸貞が幸綱の弟・矢沢頼綱の婿となったという。同年8月に真田昌幸が沼田城を攻略するとその二の丸に入った。
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