真田幸綱
真田幸綱(幸隆)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/27 05:55 UTC 版)
佐久で抵抗を続ける望月氏の一部を臣従させる。『高白斎記』によれば、天文19年(1550年)9月に村上義清との砥石城をめぐる戦いでは、村上氏方の国衆である清野氏や寺尾氏への調略を行う。この合戦で武田方は砥石城を攻略できず、大敗した(砥石崩れ)。同じく『高白斎記』によれば、天文20年(1551年)5月26日に幸綱は砥石城を攻略している。『高白斎記』では幸綱の砥石城攻略を「乗取」と記しており、調略が行われていたと考えられている。
※この「真田幸綱(幸隆)」の解説は、「調略」の解説の一部です。
「真田幸綱(幸隆)」を含む「調略」の記事については、「調略」の概要を参照ください。
- 真田幸綱のページへのリンク