長野業正とは? わかりやすく解説

長野業正

(長野業政 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/15 14:45 UTC 版)

長野 業正/業政(ながの なりまさ)として知られる長野信濃守は、戦国時代武将上野国箕輪城主。関東管領山内上杉家の家臣。在原業平の後裔と称する。または、物部姓石上氏の系統とする説もある。なお、当時の古文書に登場する名義はいずれも受領名の「信濃守」であり、「業正」「業政」が実名である事を裏付ける文書は今のところ確認されていない[1]


注釈

  1. ^ 永禄3年(1560年)に安中氏を攻めたとみえる。また本格的な西上野侵攻は永禄4年(1561年)とされる[5]
  2. ^ 彦根藩の記録によると、長野業親なる人物が業正の子としてあり、業親の子・伝蔵(長野業実)が井伊直政に仕え次席家老となったという。ただし業親は長野氏の系譜に全くみえず、庶子か養子とみられる(『高崎市史 通史編2』)。
  3. ^ 『甲陽軍鑑』では小幡憲重室。
  4. ^ 倉賀野尚行室とする説もある。
  5. ^ 系図には「長尾」とあるが、『前橋市史』にて業正と同族の厩橋長野氏が当時の城主だと考証されている。黒田基樹は、業正の娘婿を厩橋長野氏最後の当主とみられる長野彦九郎(道賢の子)と比定する[1]
  6. ^ 「長年寺系図」では依田某とあり実名不明。ただし『関東地方の中世城館』では後閑城主依田光慶が業正女婿で鷹巣へ移ったとする[7]
  7. ^ 業固は業正の兄・業氏の子である。

出典

  1. ^ a b c d 黒田 2011.
  2. ^ a b c 近藤 1985.
  3. ^ a b c d 久保田順一『上野武士団の中世史』みやま文庫、1996年。 
  4. ^ 群馬県教育委員会編 『群馬県史』第1巻、群馬県教育会、1927年。
  5. ^ 黒田基樹『戦国大名と外様国衆』文献出版、1997年。 (2015年に増補改訂版が戎光祥出版より刊行)
  6. ^ 木部範虎。天目山の戦いで死亡。木部氏項目参照。
  7. ^ 栃木県教育委員会; 群馬県教育委員会 編『関東地方の中世城館〈1〉栃木・群馬』東洋書林〈都道府県別日本の中世城館調査報告書集成〉、2000年。 


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