佐野秀綱とは? わかりやすく解説

佐野秀綱

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/18 01:46 UTC 版)

 
佐野秀綱
時代 戦国時代
生誕 文明4年(1472年
死没 天文15年8月13日1546年9月7日[1]または天文17年(1548年)8月)
別名 佐野小太郎[1]
戒名 松根院殿一器徳玄大居士[1]
墓所 栃木県佐野市栃本町1470
曹洞宗本光寺[1]
官位 従五位下、越前[1]
氏族 藤原北家秀郷流藤姓足利氏庶流佐野氏
父母 父:佐野盛綱
兄弟 秀綱、藤岡房重[1]、柴宮盛俊[1]、舟津川秀実[1]、小見是綱[2]、船越増綱[2]、戸室親綱[2]、田沼重綱[2]
泰綱[1][2]、秀山[1]、大橋秀盛[1]、片倉俊景[1]、柴宮行綱[2]、久賀利綱[2]、中江川高綱[2]
テンプレートを表示

佐野 秀綱(さの ひでつな)は、戦国時代武将。父は佐野盛綱。子に泰綱

下野国の有力な国人である佐野氏の第12代当主。大永7年(1527年)頃に家督を相続し[3]古河公方に仕えた。唐沢山城の改築、拡張工事を行ない、城を下野でも有数の堅城に成長させた秀綱は佐野氏の戦国時代における基礎を築き上げた。

また、当主として家訓ともいうべき文書を残しているほか、大永年間に天命村(現・佐野市天明町[4])に観音寺を建立している[3]

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j k l 『田原族譜』第4版 山士家左伝
  2. ^ a b c d e f g h 『下野国誌. 巻之11』河野守弘
  3. ^ a b 佐野市 2020, 秀綱の家訓.
  4. ^ 佐野市 2020, 佐野市の紹介-地名のいわれ-天明町.

参考文献






固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「佐野秀綱」の関連用語

佐野秀綱のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



佐野秀綱のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの佐野秀綱 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS