加沢記とは? わかりやすく解説

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加沢記

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/04 06:04 UTC 版)

加沢記』(かざわき)、または『加沢平次左衛門覚書』(かざわへいじざえもんおぼえがき)は、江戸時代中頃に書かれた真田氏上野国に関する史書である[1]


注釈

  1. ^ 江戸時代の加沢村には、北国街道に面し、小諸藩上田藩の藩境の番所が置かれていた。明治時代には県村の大字となり、合併等により田中町東部町を経て、現在は長野県東御市に属している。このため資料により加沢平次左衛門の出身地を「県」とするものなどがある[5]
  2. ^ 『沼田市史』等による家系図によれば、小林家は加沢家と同族(兄弟)で、平次左衛門はもともと小林家の生まれである。しかし加沢家に嗣子がなく、平次左衛門が加沢姓を名乗った[6][5]
  3. ^ 大正時代に『加沢記』を刊行した豊国学堂は、引退後の加沢平次左衛門を支えたのは月夜野(旧古馬牧村)の増田家だったのではないか、という推測をたてている[13]。沼田藩取り潰しのきっかけを作った杉木茂左衛門は月夜野の住人だった。
  4. ^ 墓所の石塔には「皈木」と刻まれているが、寺の過去帳には「皈本」と記されている。字義等から「皈本」が正しいと推測されている[7]
  5. ^ 『加沢記』はもっぱら戦国時代後期の状況を伝えるが、室町時代以前のことはよくわからない。鎌倉時代の『吾妻鏡』では浅間山北麓の六里ヶ原(長野原町北軽井沢など)を信濃国とし、江戸時代中期成立の『和漢三才図会』でも草津温泉草津町)を信濃国としており、西吾妻地方は上野国には属していなかったとも考えられる。平安時代の『和名類聚抄』では、吾妻郡の郷として「太田」・「伊参」・「名久田」の3つが記載されているのだが、明治期にこれらは各々太田村(現在の東吾妻町の一部)と伊参村名久田村(いずれも現在の中之条町の一部)に比定され、いずれも東吾妻地方となっている。ただし明治期のこの比定自体が正しいかどうかは検討の余地もある[3]
  6. ^ 『加沢記』以前の西吾妻地方については直接的な史料に欠くために、推測に頼らざるを得ない部分が大きい。平安時代の『中右記』の1094年の記述には、上野国は「以前から亡弊の状態にある」とある。これにより、平将門の乱以後、上野国は治安が悪化していたことが伺われる。さらに、1108年には浅間山が大噴火を起こしていて、嬬恋村付近は火砕流と大量の火山灰に襲われている。(現代では、このときの火山灰層がおよそ3メートルの厚みをもっているのが確認できる。この厚みは噴火後900年余りの間に圧縮された結果のものであり、噴火当時はさらに大きな厚みを持っていたことが推定される[19]

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n 『日本歴史地名大系10群馬県の地名』p811「加沢記」
  2. ^ a b c d e f g h i j k l 『嬬恋村誌』上巻、p517「加沢平次式衛門の足跡」
  3. ^ a b c 『長野原町誌』上巻、p105-106
  4. ^ a b c d 講談社,『デジタル版 日本人名大辞典+Plus』,2015,コトバンク版「加沢平次左衛門」 2018年12月18日閲覧。
  5. ^ a b c d e f 富澤一弘, 佐藤雄太「『加沢記』からみた戦国時代沼田地方の政治情勢」『高崎経済大学論集』第54巻第2号、高崎経済大学経済学会、2011年9月、 1-16頁、 ISSN 0496-7534NAID 110008728627
  6. ^ 『沼田市史』(第1巻 資料編1 原始古代・中世)別冊「加沢記・沼田根源記」
  7. ^ a b c d e 『加沢記 : 附・羽尾記』「加澤記の再販と著者の事蹟等に就て」(国立国会図書館デジタルコレクション5-6コマ目)
  8. ^ 『シリーズ藩物語 松代藩』p65-68「信之、松代城主となる」
  9. ^ a b c d e 『シリーズ藩物語 松代藩』p68-71「三代目藩主をめぐるお家騒動」
  10. ^ 小学館,『日本大百科全書(ニッポニカ)』,コトバンク版「沼田藩」 2018年12月18日閲覧。
  11. ^ 朝日新聞出版,『朝日日本歴史人物事典』,1994,コトバンク版「真田信利」 2018年12月18日閲覧。
  12. ^ a b c d e 『群馬新百科事典』p137「加沢記」
  13. ^ a b c d e f g h 『加沢記 : 附・羽尾記』「加澤記を刊行するに就て」(国立国会図書館デジタルコレクション9-10コマ目)
  14. ^ 沼田市市議会議員 大東のぶゆき(日本共産党)広報誌「やまびこ (PDF) 」535号(平成27年8月13日付) 2018年12月18日閲覧。
  15. ^ a b c 沼田市公式サイト、沼田市年表 (Microsoft Excelの.xls)」、2018年12月18日閲覧。
  16. ^ 沼田市公式サイト、教育部文化財保護課文化財保護係、平成29年4月1日付、川田城跡 2018年12月18日閲覧。
  17. ^ 『加沢記 : 附・羽尾記』、国立国会図書館デジタルコレクション4コマ目
  18. ^ 沼田市公式サイト、教育部文化財保護課文化財保護係、平成29年4月1日付、加沢平次左衛門の墓 2018年12月18日閲覧。
  19. ^ 『史料で読みとく群馬の歴史』p32-33「15 「亡弊の国」上野と浅間山噴火」


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