史料としての信頼性
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/11 21:00 UTC 版)
『加沢記』は主に、真田幸隆の事蹟に始まり、天正壬午の乱を経て、豊臣秀吉による小田原征伐まで、真田幸隆・昌幸・信之の時代を扱っている。この時期にはまだ著者の加沢平次左衛門は出生しておらず、1680年頃と目される執筆時期は天正年間(1573年 - 1593年)からおよそ100年後であり、実際に現地へ赴いたり、伝来の史料や口伝を基にして執筆を行ったと推定されている。 『加沢記』では、戦国時代当時の感状・安堵状・宛行状などが史料として多数引用されている。これらの一次史料の一部は現存し、それらと『加沢記』の突き合わせにより、信頼性が確認されている項目も多数ある。 その反面、合戦に関わる記述では、兵数などは実数よりもかなり多く記されていると推定される。また、真田氏に関する記述は詳らかだが、敵方であった上杉氏など、真田氏以外の記述については他の史料類との矛盾が散見され、官職や人物の混同・取り違えなどもあり、正確性を欠く。
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