史料での確認
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2013/07/31 08:38 UTC 版)
2つの史料で存在を確認できる。一つは天平宝字6年(762年)の「愛智郡司解」で、「慈賀団少毅外従八位上吉身臣三田次」などが見える。国司の使者として、慈賀団の少毅が派遣されたものである。慈賀団とは滋賀団のことであろう。 また、天平神護2年(766年)7月26日に、近江国志賀団大毅少初位上の建部公伊賀麻呂が朝臣の姓を賜ったことが『続日本紀』によって知られる。
※この「史料での確認」の解説は、「志賀団」の解説の一部です。
「史料での確認」を含む「志賀団」の記事については、「志賀団」の概要を参照ください。
- 史料での確認のページへのリンク