史料における雲霧仁左衛門と『講釈 大岡政談』
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江戸幕府が捕えた盗賊の記録には雲霧仁左衛門という人物は登場しておらず、そのモデルについては諸説ある。例えば、歴史学者の大石学は著書『大岡忠相』(吉川弘文館)において、安永7年(1778年)に甲斐で起こった盗難事件を元に、後世の大岡政談で大岡忠相が裁いたと創作された、としている。一方、歴史作家の若桜木虔は著書『江戸町奉行所の謎』(中経出版)において、火附盗賊改役の安部信旨(安部式部)が享保7年(1722年)に捕縛した友右衛門一味5名が雲霧仁左衛門のモデルであろうとしており、定説を見ていない。 講釈や大岡政談では、盗賊・雲霧五人男(雲霧仁左衛門、因果小僧六之助、素走り熊五郎、木鼠吉五郎、おさらば伝次)の頭目として描かれ、江戸末期から明治期にかけては歌舞伎の題材ともされた。
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