史料にみえる豊浦団とは? わかりやすく解説

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史料にみえる豊浦団

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2013/07/31 12:43 UTC 版)

豊浦団」の記事における「史料にみえる豊浦団」の解説

天平10年738年)の周防国正税帳に、「長門国豊浦団五十長凡海部我妹」なる人物がみえる。五十長は50人で構成される部隊「隊」の隊長「隊正」の別名である。 『続日本紀』によれば天平神護3年757年4月には長門国豊浦団毅外正七位上額田部直塞守が銭と稲を献じ外従五位下授かり豊浦郡大領任命された。毅は定員500人以下の軍団の長である。 そして、貞観11年869年9月29日に、豊浦団軍毅1人主帳1人兵士百人下関に置くことが太政官符により定められた。陸海交通要地である下関守備兵を置く必要を説いた長門国要請応えたのである。ここには、豊浦団軍毅2人あって1人任だともあるので、毅1人1人がいて兵士定員500人以下であることがわかる。うち100人が下関警備につき、残り軍団所在地にあったということであろう

※この「史料にみえる豊浦団」の解説は、「豊浦団」の解説の一部です。
「史料にみえる豊浦団」を含む「豊浦団」の記事については、「豊浦団」の概要を参照ください。

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