史料と概要
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/14 06:27 UTC 版)
現在発見されている同時代史料は次の3点である。同時代人カッシウス・ディオの史書の記述、ローマ法大全の学説彙纂のウルピアヌスの一文、エジプト出土の法令が記載されたパピルス文書である。ウルピアヌスの法令文は「ローマ領内に住む人々はアントニヌス帝の勅法によってローマ市民とされた」である。 パピルス文書は、1908年エジプトのEschmunen(かつてのヘルモポリス)で発見され、1910年に出版されたギリシア語の法令文書である(Oberhessischer 1910)。現在はギーセン大学図書館が所蔵している。発見されたのは文書の一部分に過ぎず、文書には解読困難な箇所があり、現在でも文言の解釈や欠損箇所の推読を巡って論争が続いている。現在のテキストは概ね以下の解釈となっている)。 [インペラトル・カエサル・マ]ルクス・アウレリ[ウス・セウェルス・]アントニヌス・ア[ウグストゥス]が告示した。このたび勝利を収めたる余が、むしろ非難と哀願を取り除くことを望まざるをえないのは、このような勝利に神意を示され、余を安泰に守ってくださったことに対して、不死なる神々に感謝したいためである。そこで、私は外人たちが我らの民(ローマ市民)のなかに入るたびに、彼らを神々への崇拝へと導いたならば、私が偉大にして敬虔に神々の威光に相応しいことを為すことができると信じる。それゆえに、世界中に住む全ての外人にローマ市民権を与える。降伏者を例外として全ての種族が[ローマ市民の地位に]とどまる。なぜなら、民衆は重荷をすべて分かち合うのみならず、今や勝利に与ることも相応しいからである。さらになお、この勅法は、諸種族が同等の地位にあることになったために、ローマ国民の戚光を(増大)するであろう。 — ギーセン・パピルス一巻四〇番(212年)、本村凌二(西洋古代史料集 1987)p183、島田誠(世界史史料 2012)p296 この政令により、帝国全領域に住む奴隷と降伏者以外のすべての自由民にローマ市民権が与えられることとなった。従来市民権所有者のみに認められていた選挙権や属州民税(資産の10%を納める)の免除などの特権ももれなく付与された。古来よりローマ社会は、紀元前90年の同盟市戦争の結果イタリア半島の全同盟市民に対しローマ市民権を付与するなど、漸次同化路線を推進しており、本法令は、いわばこのような同化政策の総決算ともいえた。 一方、それまで市民権所有者のみに課されていた遺産相続税・解放奴隷税(奴隷を解放する際に課された税)といった特別税の納税や兵役など、市民としての義務もすべての自由民に課されることとなった。特に相続税・解放奴隷税は従来の5%から10%へ税率が引き上げられることとなり、このことから同時代に生きていた歴史家のカッシウス・ディオは、特別税の課税対象者を帝国全域に広げることで増税を図り、また属州で頻発していた深刻な税金逃れや逃散を抑えることを狙った税収増大策と解釈した。
※この「史料と概要」の解説は、「アントニヌス勅令」の解説の一部です。
「史料と概要」を含む「アントニヌス勅令」の記事については、「アントニヌス勅令」の概要を参照ください。
- 史料と概要のページへのリンク