文言の解釈
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/16 00:12 UTC 版)
この協定が相互矛盾を引き起こしていたとしてイギリスの謀略外交と批判されている。しかし、三つの協定自体は原文の文言の解釈次第では、殆ど矛盾はしていないとする見方も不可能ではない。 フサイン=マクマホン協定とサイクス・ピコ協定 サイクス・ピコ協定では、トランスヨルダン(すなわち現在のヨルダン)から南メソポタミア(現在のイラクから北部を除いた部分と、アラビア半島のペルシャ湾沿岸部)にかけては、一部を除いてイギリス庇護の下でアラブ独立をする(いわゆる「Bゾーン」)こととして、またフサイン=マクマホン協定で言及された境界線であるアレッポ・ハマー・ホムス・ダマスカス以東のシリアの大部分とイラク北部(いわゆる「Aゾーン」)においてはフランス影響下に置かれながらもアラブ独立を果たすべきと規定していると解釈すれば、アラブ人国家の建設を約束したとするフサイン=マクマホン協定とは必ずしも矛盾しない。またサイクス・ピコ協定で明確にフランス統治領とされたレバノンとアナトリア半島南東部はフサイン=マクマホン書簡においてアラブ人国家の範囲には含まれないとされ、サイクス・ピコ協定では国際管理下に置かれるとされたパレスチナに関してはとくにフサイン=マクマホン協定では触れられていない。ただ、「境界線」とされた都市の所属が、実際には境界線のどちら側なのかというところが曖昧だったため、フランス勢力下のうち首府ダマスカスを中心とするシリア部分の大半において、フランス勢力下なのかアラブ勢力下なのか矛盾する部分が存在し、それがファイサルのダマスカス入城に繋がった。 サイクス・ピコ協定とバルフォア宣言 サイクス・ピコ協定はパレスチナを国際管理とすることを規定しているが、バルフォア宣言においてはユダヤ国家の建設は明記されておらず、ユダヤ人居住地(National Home, ユダヤ人民族郷土と書いてあるが、ユダヤ人国家と言う言葉はどこにも使われていない)の建設を明記している。パレスチナにおける国際管理とユダヤ人居住地の確立は矛盾せず、あくまで中立地帯におけるユダヤ人居住地の建設を約束したに留める妥協的な文言であるとも解釈できる。 バルフォア宣言とフサイン=マクマホン協定 レバノン沿岸部のように明文で除外されていたわけではなかったが、もともとパレスチナ(シリア南部地域)はフサイン=マクマホン協定で定められたアラブ人国家の範囲外である。またフサイン・イブン・アリーの息子ファイサル王子は、バルフォア宣言が問題になって、シオニズム運動の指導者ハイム・ワイツマン博士と会談したおりでも、エルサレムの行政権を除くパレスチナ地域には関心を示していない(中東戦争全史 山崎 雅弘著 学研M文庫)。この1919年のファイサル=ワイツマン合意では、とりあえずは一時的措置としながらも、パレスチナにおけるユダヤ教徒とアラブ人の長い共存の歴史を鑑みて、アラブ人とユダヤ人が共存しながらパレスチナ地域へのユダヤ人入植を促進するとの合意がなされている。またバルフォア宣言では「先住民の権利を侵害しないことが前提」という旨が明記されている。 ただ、その後の民族対立が激化した結果、パレスチナに居住するアラブ人のことが無視され、現在に続く大問題を引き起こした。
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