バルフォア宣言とフサイン=マクマホン協定
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/16 00:12 UTC 版)
「三枚舌外交」の記事における「バルフォア宣言とフサイン=マクマホン協定」の解説
レバノン沿岸部のように明文で除外されていたわけではなかったが、もともとパレスチナ(シリア南部地域)はフサイン=マクマホン協定で定められたアラブ人国家の範囲外である。またフサイン・イブン・アリーの息子ファイサル王子は、バルフォア宣言が問題になって、シオニズム運動の指導者ハイム・ワイツマン博士と会談したおりでも、エルサレムの行政権を除くパレスチナ地域には関心を示していない(中東戦争全史 山崎 雅弘著 学研M文庫)。この1919年のファイサル=ワイツマン合意では、とりあえずは一時的措置としながらも、パレスチナにおけるユダヤ教徒とアラブ人の長い共存の歴史を鑑みて、アラブ人とユダヤ人が共存しながらパレスチナ地域へのユダヤ人入植を促進するとの合意がなされている。またバルフォア宣言では「先住民の権利を侵害しないことが前提」という旨が明記されている。
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