バルフォア内閣
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/06 23:55 UTC 版)
「アーサー・バルフォア」の記事における「バルフォア内閣」の解説
1902年7月11日に首相ソールズベリー侯が首相を辞した。ランドルフ・チャーチル卿はすでに亡く、連立相手の自由統一党の有力者ジョゼフ・チェンバレンとデヴォンシャー公爵も首相になる意思はなく、バルフォアが後任の首相となることに異を唱える者はなかった。 1907年7月12日に国王エドワード7世より大命を拝受し、バルフォア内閣(英語版)を組閣した。さらにその2日後には外務省内で開かれた保守党両院総会で保守党党首に選出された。デヴォンシャー公爵やチェンバレンら自由統一党幹部も引き続き連立を維持していくことを表明した。
※この「バルフォア内閣」の解説は、「アーサー・バルフォア」の解説の一部です。
「バルフォア内閣」を含む「アーサー・バルフォア」の記事については、「アーサー・バルフォア」の概要を参照ください。
- バルフォア内閣のページへのリンク