伝承に対する疑義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/17 21:15 UTC 版)
「鴨島 (島根県)」の記事における「伝承に対する疑義」の解説
一方、これらの伝承は専ら口碑によるものであり、鴨島や地震・津波について述べた同時代史料は存在しない。万寿地震とその被害を指すと思われる記述が確認できるのは400年以上後の1430年(永享2年)に著された『徹書記物語』が初出であるし、それ以降に記された書物についても、多くは荒唐無稽な伝説を記しているのみで史料としての信頼性は高いものではない。さらに、それら史料にもはっきりと「地震」と記述されたものはない。また、そもそもこの地域では、暴風雨による高潮こそ発生することはあるものの、地震による津波の被害は少ない。 こうした事実から、柿本人麻呂の終焉地をめぐる論争も関わって、鴨島に関する伝承について懐疑的な見方も存在する。柿本人麻呂の辞世の句とされる「鴨山の岩根し枕けるわれをかも知らにと妹が待ちつつあるらむ」(『万葉集』233)の「鴨山」がどこであったのか、すなわち柿本人麻呂の終焉地がどこであるのかについて、前述のとおり地元では鴨島にあった鴨山を終焉地とみなしているが、江戸末期から明治期の国学者である藤井宗雄は、著書『石見国名跡考』で浜田の亀山を支持する立場から、高津鴨島説に対して「万寿の海溢に托して、遁辞せるなり。」と述べてこれを否定した。また、歌人の斎藤茂吉も1936年(昭和11年)に発表した著書『柿本人麻呂』の中で「それが万寿の海嘯でなくなったとしても、どういふ作用でなくなったか、もっと科学的に説明が欲しい。さういふ研究論文の有無を知らぬのである。」と高津鴨島説を非科学的と否定した上で、新たに邑智郡粕淵村(現在の美郷町)湯抱の鴨山であるとする説を立てた。 これらの疑義に対して、地元の郷土史家矢富熊一郎は、1964年(昭和39年)に『柿本人麻呂と鴨山』を著し、地理的な考察を以てこれに反論した。また、伝承から推測される地盤の隆起・沈降のパターンは1872年(明治5年)に発生した浜田地震によるパターンと一致すると指摘されている。
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