伝承の世界
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前九年の役の時、天喜5年11月に数百の死者を出し大敗した黄海の戦いで、僅か六騎となって逃れたが、その戦いの中で「将軍の長男義家、驍勇絶倫にして、騎射すること神の如し。白刀を冒し、重圍を突き、賊の左右 に出でて、大鏃の箭を以て、頻りに賊の師を射る。矢空しく発たず。中たる所必ず斃れぬ。雷の如く奔り、風の如く飛び、神武命世なり」。と『陸奥話記』にある。 同じ『陸奥話記』には、その後清原武則が「君が弓勢を試さんと欲す。いかに」と問うと、義家は「善し」と。そこで武則は「堅き甲(かぶと:と読むが鎧のことか)三領を重ねて、これを樹の枝に懸る。義家は一発にて甲三領を貫かせしむ」。武則は大いに驚いて「これ神明の変化なり。あに凡人の堪える所ならんや。宜しく武士の為に帰伏する所、かくの如し」と語ったという逸話がも残る。 義家が2歳の時に用いた「源太が産衣」という鎧と、生け捕った敵千人の首を髭ごと切ったことから「髭切」と名付けられた刀は、河内源氏嫡子に伝えられる宝となり、後の平治の乱では源頼朝が用いたという逸話が鎌倉時代初期の『平治物語』にある。これは源頼朝が源氏の嫡流であると印象づけるための創作といわれている。 鎌倉時代中期の説話集『古今著聞集』には前九年の役の後、捕虜となった後、家来とした(事実ではないが)安倍宗任との話がいくつかあり、射芸に秀で、意味もなく動物を殺そうとしない優しさ、更に射た矢を取ってきたかつての敵・宗任に背中を向け、背負った矢入れに入れさせた剛胆さ、更には神通力まで備えた超人的な武士として描かれている。 しかしその一方では以下のような伝承も残されている。 京の義家の屋敷の近所の者が、ある夜に義家が鬼に引きずられて門を出て行く夢を見た。そこで義家の屋敷を覗うと、屋敷の中では義家が死んだと大騒ぎになっていた。あれは義家が地獄に引きずられていくところだったに違いない。 父頼義も殺生の罪人で、本来なら地獄に堕ちるべき人間である。前九年の役で切り落とした首は1万八千、その片耳を取り集めて、乾して皮古二合に入て上洛した。しかし、後年仏門に入って、その耳を堂(京・六条坊門北の耳納堂)の土壇の下に埋めて弔い、自分の殺生を悔いたために最後は成仏できた。しかし義家は罪も無い人を沢山殺して、それを悔いるところも無かったので無限地獄へ堕ちた。(『古事談』) 今様狂いの後白河法皇が編纂した『梁塵秘抄』巻第二にある「鷲の棲む深山には、概ての鳥は棲むものか、同じき源氏と申せども、八幡太郎は恐ろしや」はそのような言い伝えを反映しているものと思われる。 それらの伝承は平安時代末期から鎌倉時代初期にかけてのものであるが、同時代の藤原宗忠がその日記『中右記』に「故義家朝臣は年来武者の長者として多く無罪の人を殺すと云々。積悪の余り、遂に子孫に及ぶか」と記したことも合わせ考えると、それらの説話も個々には事実ではあり得ないが、当時の京の人間の義家観として、義家の実像の一面を伝えているようにもとれる。 後三年の役が私戦とされて恩賞が出なかったため、義家は河内石川荘の自分の私財を投じて部下の将士に報奨を与え、武家の棟梁としての信望を高めたといわれる。ただし平安時代末期の『奥州後三年記』にはその記述はない。後世では、東国における武門の習いは義家が整備したといわれ、その名声は武門の棟梁としての血脈としての評価を一層高めることとなったというのは、主に南北朝時代の末に、義家の子孫である足利幕府の正統性をうたう為に書かれた『源威集』にある「諸家輩、源家将軍ヲ代々仁王ト奉仰ハ此故也」からの派生。 義家の名声を恐れた白河法皇や、摂関家の陰謀によって河内源氏は凋落していったとされるのは主に戦後である。現在研究者の間では本稿で紹介したような見直しが行われているが、その陰謀説はいまだに非常に根強い。 今川貞世(了俊)の『難太平記』によれば、義家は「われ七代の孫に生まれ代わりて天下を取るべし」という遺言を残し、義家から七代目にあたる足利家時は、自分の代では達成できないため、三代後の子孫に天下を取らせよと祈願し、願文を残して自害したと言われ、了俊自身もその願文を見たと記している。かつては、貞世の証言を鵜呑みにし、足利尊氏が北条氏打倒や後醍醐天皇打倒に立ち上がったのは、家時から三代後の子孫としてそれを見せられたという説があった。しかし、20世紀半ば以降、この説はほとんど支持されていない。家時の置文が実在し尊氏の弟の直義がそれを見たことは直義の書状から確実であるが、それは後醍醐天皇との対決から15年後のことであり、尊氏の挙兵の動機としては考えにくい。それどころか、「足利氏が源氏嫡流である」という認識そのものが室町幕府成立後に創作されたものであり、貞世の語る義家・家時の伝説もその源氏嫡流工作の一つであるという。詳細は足利尊氏#置文伝説を参照。
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